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1998年公開の森達也監督のドキュメンタリー。麻原彰晃逮捕後のオウム真理教と、それを取り巻く社会を記録した作品。

⚠️ Spoilers start below! Read at your own risk.

本作の観点は「オウム真理教の宗教・犯罪」では無く、「社会の外敵と認識された集団」と「外敵を認識した社会」の関係。その関係を上祐史浩逮捕後に広報代表となった荒木浩を基点に記録している。

荒木浩をはじめ、登場する信者は総じて真面目で理性的。新興宗教にありがちな御神託・呪詛のような発言は無く、冷静に状況を分析し、理性的に権利を主張している場面が大半。高学歴の人が多かったというのも宜なるかなという感じ。人間的にも悪い印象は無い。

・・・しかし何故、このような「理性的に見える人たち」が、あの事件を計画・実行した団体の信者となったのだろうか?

社会には「不正義・不平等・偽善・欺瞞」などのジレンマが常に転がっていて、若い頃は怒りを感じて抗ったりもするが、社会経験を積むうちにどこかで折り合いをつけたり、麻痺したりして生きていく必要がある。

でも一部、それができずに生きづらさを感じている人たちが存在しており、彼らにとってオウム真理教はその生きづらさを救済できる教義だった、ということなのだろう。

人間の歴史を紐解いて感じる宗教の恐ろしさに「人は欲望実現のために正しい教義を悪用する」という点があるが、基本的にこの宗教もこのパターンに近い印象。

自分は教義を読んでないので詳しくはわからないが、本作中で信者が教団の犯行を受け入れることに逡巡するシーン、松本被告の写真を飾って祈るシーンなど、教義と個人崇拝が切り離せない様子が垣間見える。

これは「政治家と政治思想」も同様だが、個人崇拝は「簡単でわかりやすい」のだ😅

しかし個人崇拝は歴史的にも大きなリスクを伴うアプローチで、偶像崇拝を戒律で強く禁じている宗教もあるほどである。個人的には「人間とは教義を悪用する存在である」という自己矛盾を教義に内包して自己抑止を許容する構造にしたら良いのになーと思ったりもする🐙

ーーー閑話休題

さて「社会から外敵認定された集団」は以上の感じ。
他方、「彼らを外敵認定した社会」、つまり「わたしたち」はどうだろうか?

これはもう言葉ではうまく説明できないので実際観ていただきたいのだが、下品さ、無礼さ、野蛮さ、強引さ、粗雑さ・・・。そういう我々が目を伏せた社会のジレンマがすべて詰め込まれている感じ。そしてわたしたちはこの「雑な力で守られている社会」で生きているという心地の悪さを突きつけられる・・・🤮

自然界における異物認定の対応は苛烈を極めるが、実は社会にも「人の理性を無効化して攻撃性を発動させる」機能があるのでは無いかと思うほど。

そのへんの人が普段は出さない強い攻撃性を発揮している姿が映っていて、人間的にはコチラのほうが印象悪い・・・😅

結局これは「正しい/正しくない」ではなく、どちらの社会が生き残るのか?という社会の生存競争だったのかもしれぬ。

そしてそんなシーンに対して画面越しに「これはひどいなぁ・・・」なんて呟く私自身が、そのジレンマに目をつぶり社会でノウノウと生きている人間そのものだったりする。

鑑賞後猛烈にモヤモヤするけれど、自分たちが生きている社会とはなにか?を感じるのにとても良い作品だと思う。ナマクラにならないためにも定期的な鑑賞がオススメ。

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