2017年公開のイギリス・アイルランドのサイコホラー映画。
監督は奇才ヨルゴス・ランティモス。
過去に感想書いてる”The Lobster (2015)“は同監督による本作の2年前の作品。ちなみに両作とも主演はコリン・ファレル。なにか意図があるのかもはよくわからぬ・・・😓
⚠️ Spoilers start below! Read at your own risk.
“The Lobster (2015)“はディストビア社会を舞台に寓話を展開する構成だったが、本作は現代社会を舞台にしてギリシャ悲劇の「アウリスのイピゲネイア」を基にした作品とのこと。この「アウリスのイピゲネイア」のWikipediaを確認したがアキレウスの話で知っているような、知らないような、なんとも言えない感じ😅
さて、ヨルゴス・ランティモス作品は鑑賞中の精神的ストレスが非常に高いが、この作品は本当に疲れる。
カメラが動き続ける不安定な映像。レイアウトを乱す不快な要素。静謐で不協なBGMなど・・・最初から最後まで気が抜ける時間が無い。正直50代にはちょと辛く30代ぐらいで観ておきたい気持ち😅
怠惰による失敗、償えない罪、傲慢による隠蔽、超常の力、贖罪の生贄、自己保身、阿諛追従、生贄の選択・・・など、古典的なテーマを現代にバランスよく落とし込まれている。特に「超越した力」について医学で解明できず、説明も一切ない形で収束させているのは秀逸。その結果、これらがリアルで気まずい形で作中に乱れ飛び、鑑賞中は人間不信の心がどんどん大きく育つ🤮
演技は”The Lobstar“と同じく全体的に感情を抑え気味で間で調整している感じ。ただその中でもマーティン(預言者、通達者的な役回りの)を演じるバリー・コーガンの演技は所作、空気感、喋り方、すべてがとても素晴らしく超越的で気持ち悪かった😨(褒め言葉です)この人は名優となる予感がする。
本作は人間社会がベースとしている「家族」という存在の不安定さ、不確実さ。極限状態における人間の社会的選択と言った人間が見ないふりをして逃げている部分に白日に晒している。この辺も”The Lobstar“に通じる部分。この辺はヨルゴス・ランティモス監督のテーマなのであろう。
📌余談:本作タイトルにある「聖なる鹿」について
原典だと「生贄は直前に鹿とすり替わって生き残る」なんてパターンもあるらしいが、本作タイトルの「The Killing of a Sacred Deer」は「生贄の身代わりである鹿を殺害」と読み解くこともできそう。
実は「生贄として死んだ弟」は直前にすり替えられて死んでおらず、ラストシーンはマーティン(神の代理)に生贄を捧げたことを証明するために、マーティンの行きつけの店で家族三人の食事を見せたのか?なんてモヤモヤしておる。
まぁここまで書いておいてアレだけど、作品全体として家族という社会定義の空虚さを暴いて、最後は家族団結に急ハンドルという展開は無いわな・・・😅
生贄は主人公であり、身代わりの鹿が家族という理解が正解かなー?