共有プロセスが重要視される昨今、その伝達形態として「言語」への変換が行われますが、その過程で失われる存在があることには注意。
* 共有情報自体に「言語可能な情報である」というバイアスがかかっていること
* 言語以外の「絵、音楽、映像」が言語表現範囲を超えた部分の意思・情報伝達要素を持っていること
その辺を認識した上で、言語による共有を発信、受信。
言葉に置き換えてしまうと「つり上げるもの」が少なくなるんですよ。
そこで、なるべく正確さをキープしつつも、イメージの豊かさを損なわないために、「直感の精度」を上げようとそういうふうに、考えるようになりました。