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2007

特異性を見出して安心する

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最近は猟奇的というか衝撃的な事件がたくさん発生していて、ワイドショーでは犯人のプロファイリングらしきものをしている(解析なのかただ喋っているだけなのか微妙だが)。そこでは犯人の生い立ち、生活環境などの特異性にスポットを当て、起因となるべき要素を見つけ出そうとしている。
この必要以上に半ばヒステリックなまでに行われるこの行為が意味するものは何か?
我々一般人と彼らが異なる人間であるということを認識することで安心したいということなのだろうか?
的にこれらの事件に対して抱くは、自分が被害者になるかもしれないというよりも、自分が同じ事件を起こす可能性があるかもしれないという部分にある。
人間のの中において同族をす戦争というものが同族内における進化の要因として存在するのであれば、間違いなく我々は勝利者の末裔である。戦争において様々な残虐行為が行われていたとするならば、それらを行った人間の遺伝子は現在生存している我々のDNAの中にあるのだろう。
そういう風に考えると、これらの犯罪を犯した人たちと我々の違いは大差なく、十二分に素質は備わっているのかもしれない。
まぁそれが発動するかしないか?がプロファイリングの結果で分かるのかもしれないのだけど・・。
有名人に対してはわずかな特異性を見出して誇らしげに語る一方で、こういうな話では違う部分だけをひたすらに探し出す。実際「羊たちの沈黙」(ート・K・レスラー)で有名になったプロファイリングであるけれど、そこに何かしらの科学的な裏づけがあるのか?と言われると微妙なところで、あくまで結果論にすぎないような気もしている。そう考えると既にプロファイリングはただのプロパガンダのようにも感じてくる。
それにしても今日はとてもい一日だった。

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