豊臣兄弟を観ていて、松永久秀、荒木村重あたりで筒井順慶、江雪斎も含めた茶を嗜む奇人軍団がぐにゃぐにゃしてきたのでGPTに整理してもらったので忘れぬようメモ。
松永久秀
まつなが ひさひで / 1508または1510頃〜1577
三好長慶に仕え、畿内で権勢を振るった武将。出自や前半生には不明点が多い人物です。平群町観光サイトでも、久秀の出自・出生・前半生はよく分かっておらず、生年も確証がないと説明されています。
三好政権の重臣として頭角を現し、大和へ進出。筒井順慶と抗争し、多聞山城・信貴山城などを拠点に大和支配を進めました。
茶の湯では、名物茶釜**「古天明平蜘蛛」**との逸話が強烈です。信貴山城で織田信長に攻められた際、平蜘蛛を渡せば許すと言われたが拒否し、茶釜を砕いて自害した、あるいは爆死したという伝説が語られます。ただし「爆死」は逸話色が濃く、史実としては慎重に扱うべきです。
怪人感はこの人が一番わかりやすいです。
将軍殺し、東大寺大仏殿炎上、信長への反逆、茶釜と最期の逸話。史実と後世の脚色が混ざっているにせよ、キャラクター造形としては完全に戦国ダークヒーロー。茶器の扱いまで含めて、画面が濃い。濃すぎて胃もたれするタイプです。
荒木村重
あらき むらしげ / 1535〜1586
摂津の武将・大名。伊丹市の解説では、天正2年、1574年に伊丹城へ入り、城を惣構の有岡城へ大改造した人物とされています。
当初は織田信長の有力武将でしたが、天正6年、1578年に突然信長に反旗を翻し、有岡城で約1年籠城します。その後、有岡城を脱出し、尼崎城・花隈城へ移りながら戦いますが敗北。一族や家臣は処刑され、村重自身は西国へ逃れました。
その後、髪を剃って道薫と名乗り、信長の死後は大坂へ戻り、茶の湯をもって豊臣秀吉に仕えたとされます。
怪人感は、
織田家重臣 → 反逆者 → 逃亡者 → 家族を失う → 茶人として復帰
という人生の振れ幅です。武将としての評価以前に、人生の展開があまりに酷薄。茶人化した晩年も、風流というより、血と後悔の匂いがする。戦国の情緒はだいたいここで炊き込まれています。
筒井順慶
つつい じゅんけい / 1549〜1584
大和国、現在の奈良県周辺の戦国大名。大和郡山市の説明では、筒井順昭の子として天文18年、1549年に生まれ、幼名は藤勝・藤政、のち得度して陽舜坊順慶と称したとされています。
幼少で家督を継ぎ、長く松永久秀と大和支配をめぐって争いました。松永久秀が大和に進出したことで筒井氏は本拠を追われ、両者の抗争は大和戦国史の中心になります。
茶の湯との関係では、名物井戸茶碗**「筒井筒」**が有名です。石川県の文化財解説では、「筒井筒」の銘はもと筒井順慶が持っていたことに由来すると説明されています。
怪人感としては、本人が松永久秀ほど派手に暴れたわけではないですが、**大和の寺社勢力・国衆・織田政権・明智光秀・羽柴秀吉の間で生きた“判断の人”**という感じです。本能寺の変後、明智光秀にすぐ加担しなかったことから「洞ヶ峠」の故事にも絡められますが、実像としては単純な日和見より、かなり厳しい政局判断だったと見るほうが自然です。
板部岡江雪斎
いたべおか こうせつさい / 1537〜1609
後北条氏に仕えた武将・外交僧。のち豊臣秀吉、徳川家康にも仕えます。一般に、北条氏の外交担当として知られる人物です。生没年は1537年〜1609年。
小田原征伐前後の北条外交に関わり、豊臣方との交渉にも出ました。小田原落城後も処刑されず、豊臣・徳川政権下で生き残ったあたりがかなりしたたかです。
茶の湯との関係では、秀吉の勘気を受けて小田原にいた山上宗二と親交があり、『山上宗二記』の写本を譲り受けたとされます。
怪人感は、派手な武断派ではなく、交渉・弁舌・文化・生存術の怪人です。北条、豊臣、徳川という巨大権力の間を渡り、しかも茶の湯の核心文献とも接点がある。斬った張ったではなく、口と知性で生き延びるタイプ。こういう人が一番怖い。
古田織部
ふるた おりべ / 古田重然 / 1544〜1615
武将であり、大名茶人。もとは織田信長、のち豊臣秀吉に仕え、千利休に茶の湯を学びました。利休の死後は、天下の茶人として大きな影響力を持ちます。刀剣ワールドでは、大胆かつ斬新な「織部流」を生み出した茶人として紹介されています。
織部の特徴は、歪み、非対称、破調、大胆な造形です。いわゆる「織部好み」「織部焼」に象徴されるように、端正な美ではなく、わざと外す美を追求した人物です。
最期は大坂夏の陣後、豊臣方との内通を疑われ、切腹。子らも処罰され、古田家は断絶します。内通の実態には不明点があり、現在でも謎が残るとされています。
怪人感は、戦ではなく美意識にあります。
利休が「静かな狂気」なら、織部はデザインで暴れる狂気です。美しいものを整えるのではなく、歪ませて成立させる。戦国茶人界のアヴァンギャルド担当です。
豊臣以前の茶人武将は怪人が多いイメージ。これはシンプルな武断だけでなく、茶の湯に繋がる理念・観念・美意識が行動原理に取り込まれているからかもしれぬ・・・
※ちょと古田織部は豊臣以降の感が強いけれど・・・
