カテゴリー
Society

他人事というか、まぁ本当に他人なのだ

【人権派弁護士の心変わり】本当ですか?↓ – Yahoo!知恵袋
まぁ弁護士に加害者、被害者双方に親身になれなんて話は無理な話ではある。
んだども、ここまで見事に心変わりされると、またそれはそれで今までなんだったんだよ?とも思う。
しかしそういう非難も重承知の上での転身だろうから、そういう意味では勇気があるなと思う。
より心に近いのはこちらなんじゃないかしら?と思ったりする。
更正を目的とする現在の刑法だが、再犯率の高さ(というか同系犯罪の再犯率)を踏まえて、そろそろその効果自体を見直す必要があるんじゃなかろうか?と思う。
昔のような政治犯など、対国家権力みたいな思想的犯罪が多い時代でも無かろうに。
(と言っても保護が薄くなると、また国家権力の人権侵害が始まり・・とループではある)
世の中に関わらず、丁度良いンスで安定するのは難しい。

「他人事というか、まぁ本当に他人なのだ」への2件の返信

この方はまだ理解できますが、例の安田弁護士が同様の状況になったとき、今のスタイルを続けられるのかはちょっと見てみたいですねぇ。(;´∀`)

この人も元々日弁連副会長ですから安田氏と似たり寄ったりだろうし、やっぱ何のリスクも無ければ、他人事にならざるを得ないんだと思います。(というか弁護人は被告の側な訳で、そもそも至極正当な行為を行ってる訳ですが)
そもそも根本的な司法制度の問題は、刑の試行だけでなく、刑の方向性を国家システムに委ね、「更正」前提となっている部分なのだと思います。
この最初の方向性は被害者(関係者)で決めるべきなんじゃないかと思います。
「死刑反対」運動を展開している人権団体も「被害者」ではなく顔や感情の見えない「国家」相手だとその主張を述べやすい(意気地なし)、また国家もある意味他人事なので、トラブルになるぐらいなら、それを聞いてしまう。(国家は個人相手だと尊大)
そういった意味で岡村氏はその領域に踏み込んだ、というかそれらのリスクを踏み越える怒りがあった訳でしょうけど・・。
人の感情に触れない他人事の安全領域で、それらしい主張を行い、知的?イデオロギー遊びで自己満足をしているようにも見えます。
実行を伴わないイデオロギー等がまかり通る時代もそろそろ転換してもいいんじゃないかしら?と思ったりします。
まぁ過去軒並みそういうのはひどいことになるのですが、少しは人間も進歩してんじゃないか?という希望を込めて。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です