カテゴリー 2011 まだ終わらない,むしろこれから 投稿者 作成者: +39 投稿日 2011/07/29 まだ終わらない,むしろこれから への1件のコメント 2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り – 児玉龍彦 書き起こし 児玉龍彦参考人の、国の内部被曝対応への批判が凄すぎる上に、提言まですごい!(全内容書き起こし):ざまあみやがれい! ← trace of red curb → links for 2011-07-28 「まだ終わらない,むしろこれから」への1件の返信 除染作業は今後兆単位の公共事業になっていくだろう。しかもかなりの年数。これが利権にまみれ、住民を無視したものにならないようにわれわれは監視していく必要がある。これも今後の継続的な支援の一つの形かもしれない。 児玉教授は学会誌に「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」と記したそうです。私はそこまで除染に対して肯定的ではないですが、それでもその根底にある怒りを伴った責任感は信頼できる気がします。 コメントを残すメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。
除染作業は今後兆単位の公共事業になっていくだろう。しかもかなりの年数。これが利権にまみれ、住民を無視したものにならないようにわれわれは監視していく必要がある。これも今後の継続的な支援の一つの形かもしれない。 児玉教授は学会誌に「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」と記したそうです。私はそこまで除染に対して肯定的ではないですが、それでもその根底にある怒りを伴った責任感は信頼できる気がします。
「まだ終わらない,むしろこれから」への1件の返信
除染作業は今後兆単位の公共事業になっていくだろう。しかもかなりの年数。これが利権にまみれ、住民を無視したものにならないようにわれわれは監視していく必要がある。これも今後の継続的な支援の一つの形かもしれない。
児玉教授は学会誌に「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」と記したそうです。私はそこまで除染に対して肯定的ではないですが、それでもその根底にある怒りを伴った責任感は信頼できる気がします。