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神のRole

人気ゲーム「Flappy Bird」、提供中止の理由は「中毒性」 « WIRED.jp
将来に対して重要な判断なのかもしれない。
ゲームはプレイすることに、なにがしかの価値が発生するように設計される。
裏返すと、プレイすることに生産性が無いことを隠すためとも言える。
その結果、仕事をせず、家に引きこもり、不眠不休で、大量の金をゲームに投資し、「生きる」ことに影響を及ぼすほどにゲームに没頭してしまう人たちが存在する。個人的にはその結果が得るものが、投資時間と金額に見合うのか微妙に思えるが、射幸心、没入性による逃避など人によって求めるものが色々違うのだろう。


そんななか、今回は作者が「このゲームは中毒性がある」と言ってゲームの販売を中止するという事件。つまり「おまえら!おれこのゲームつくったんだけど、このゲームやってるとやばいからやめとけ」ということだ。このゲームがそこまで面白いか「?」であるけれど、そういうことらしい。
ハマっている人に周囲の人が忠告する場合があるだろうが、「お前はこのゲームの奥深さを知らない」という中学生的な言い訳によって忠告はシャットアウトされてしまうだろう。しかし、今回はゲームの作者(=神)がそう言っているのである。さすがの中毒者でも耳を傾けるかも知れない。(その結末が悲劇的であろうとも・・)
神:「あー、この世界あかんわ」
住民:「え?!なんすか?まさかの洪水っすか?」
神:「いや、世界消滅で・・」
住民:「(TдT)・・・」
スマホの出現とSNSの組み合わせにより、多種のアプリが一気に伝播していく時代である。
昔のようにアプリリリース側も社会信用度の高い組織ばかりでは無い。得体のしれない会社もたくさんある。
そういう社会信用という社会性で評価できない現在においては、ゲーム作成側は「面白いゲームを作る」役割に加え、「社会的視点からのプレイヤー(信者)への啓蒙」という、神としての責務を要求されるようになるのかもしれない。

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