ホントめんどくせえな。「逝去」に文句言ってる奴は天皇陛下のお顔のことを龍顔と呼んだりお言葉のことを優諚…
当人の意思を無視した権威の流用により、他者を排除・否定し、自己の立場を確立・守る行為を行うケースがあります。面倒なのは、当人の自己保身行為であることを当人が理解しておらず、権威対象への同一化を伴うエクスタシー状態になって「偉い先生がこう言った」「あの本にはこう書いてある」「昔はこうだった」・・・と展開するわけです。
ですから否定的な意見は自身への否定である上に、権威への忠誠心なんて自己犠牲的薬物をチューっとされていますから、大爆発します。
対象は人だけに限りません。会社、学問、仕様、社会・・・色々あります。
その結果が「戦争中には「軍人より軍人らしい民間人」が多数現れたようです。 例えば…」のようにオチが付けばよいですが、現実はまぁ当人がそこに出てくることは無く、「当人のために戦うことにエクスタシーを感じる好戦的な当人もどきと議論する」というあまりメリットが無い状況に陥ってしまう訳です。
この根源に何があるのかは良くわからないですが、日本人に関しては「主人公が何をすべきかわかってるな、イタリア人は。 それで、まよわずやってしまうのがイタリア人。」のような振る舞いが出来ない、「自分の事を語るのは恥だが、自分以外のことならば雄弁に語れる」という日本人男性の大して可愛くない羞恥心なのかもしれません。そしてそこには三島由紀夫に通じるかもしれない、マゾヒズム要素が潜んでいるのかも知れません。
いや、どうでもいい話ですね・・・