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カッコーの巣の上で

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アメリカン・ニューシネマの代表作として位置づけられる1975年公開のアメリカ映画。主演は説明不要のジャック・ニコルソン。監督はアマデウスでも有名なミロス・フォアマン。

⚠️ Spoilers start below! Read at your own risk.

「アメリカン・ニューシネマ」の定義は色々あるが、概ねそれ以前の「社会モラルの規範」的な表現に対するアンチテーゼだと思われる。

  • 五〇年代のアメリカ社会が築き上げたいわゆるアメリカン・ウェイ・オブ・ライフに対する反抗によって作られたもの。アウトローやアンチ・ヒーローを主人公にすえて多くは反体制を志向。
  • 社会に反旗を翻す登場人物やハッピーエンドの拒否、プロダクション・コード(ヘイズ・コード)の本格的な解体によって可能になった性・暴力・麻薬などの露骨な映像描写
アメリカン・ニューシネマ – Wikipedia

ということで、今作の主人公は「刑務所の強制労働から逃れるために詐病して精神病院に移送やってきたずる賢い小悪党」に設定されている。戦うべき相手も攻撃してくる国や宇宙人ではなく自ら作り出した社会に設定されている。

主人公の小悪党は「健全で規範的な理想の社会」に大きな不満も野望もなく隙間をすり抜けてずる賢く生きている、自分の周りにも一人ぐらいはいるかも知れないレベルのアウトロー。

プロットは「持つ者・持たざるもの」の対象をより一歩踏み込んで「主張する権利」を「持たざるもの」実情を「持つことが当然」である鑑賞者にジワジワと炙り出していく構成。

「健全で規範的な理想の社会」とされる世界に日陰があり、その日陰にいる社会弱者に強く歪が作用していることに主人公の小悪党が気づき、その歪をいつものやり方でずる賢くすり抜ける・・・この歪と解決策の設定の粒度とレベルアップがとても絶妙。

エンディングはアメリカン・ニューシネマでノワール的。社会弱者であるネイティブアメリカンの思想とプライドの観点がここで前段コンテクストと結びつけられて、最後の最後で社会要素として明示されているように見える。

これを前段で強く展開すると安易な問題認識へミスリードしてしまうリスクが高かっただろうことを考えると、このエンディグでの展開は本当に絶妙だと思う。

最近は観客に複雑な伏線設定を展開することが評価される傾向にあるけれど、今作は非常にシンプルだけど各要素の配置がとてもに繊細に構築されていて、妙なメタ視点の勘繰りすることなく素直に観て感じることができる。

名作と評されるのも納得の作品

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