知っている人は知っているかも知れませんが、私は俗に「グロ」と言われる写真や映像を良く見る人間です。CDROM、ビデオ、写真集などを頂いたりしています。しかし純粋に好きなのは「BDSM」系ぐらいであって、死体系は個人的に「大好き!超みたいーー!」と言う訳ではなく、ある義務感に駆られて見ているという感じが強いかもしれません。
なんでそーなのか?ということを今回の邦人3人の誘拐を機会にちと書いてみたりします。
元々は今から17年前、高校1年のときに授業をサボって図書館でお休みしていたときに、何気なく手に取った一冊の本の影響です。その本は広河隆一という人の書いた「パレスチナ」という本でした。イスラエル軍に包囲され報道管制の引かれた自治区の中に閉じ込められ、民兵によって陵辱、虐殺されるパレスチナの人々。そして国外でそれを聞くしかないゲリラたちの無念。その中でガザかどこかの虐殺に遭遇した筆者はパレスチナ人女性に「この真実を写真にとって世界に伝えてくれ」と懇願されます。筆者は自分の命の危険を顧みずその虐殺の様子を隠し撮りし、「パレスチナ」という本に記します。(今は改訂版になっているので、その描写の箇所が見つけられなくて、正確かどうかはわからないですが・・)衝撃でした。それまでイスラエルについてあまり知らなかったのだけど、何故これが世界的に問題にならないのか?誰もそれを止められないのか?その時に報道の力というか軍事カメラマンというかそういう人の役割を知り、そこから宗教、戦争、イスラエル問題等にのめりこんでいきます。その過程でマグナムやキャパについて知り、高校一年の時は将来報道カメラマンになるんだ!と息巻いていました。しかし何故だか高校2年で理系コースに進んでしまい建設系への道を進むことになります。(駄目ですね)
話が少しずれましたが、自分にとって「グロ」と呼ばれる写真は、死者が伝えようとする最後のメッセージだったりするわけです。我々はそのメッセージを受け取らなくてはいけないのではないか?そして同じ過ちを繰り返さないようにする責任があるのではないか?と思い、それを見るわけです。人の死ってのは実際そんなに目の前で見ることはないですし、多分人が殺されるということに対して本当の意味での実感はありませんが、写真や映像はそれを少なからず伝えてくれると思います。気持ち悪いかもしれませんが、今まさに同じ地球のどこかで起きていることです。もしかしたら自分の愛する人がその被写体になるかもしれません。
ただマスコミが伝える情報も今は色々フィルタリングされていて、ある程度の意図が込められたものになっています。今回の邦人誘拐においてもアルジャジーラで放送された映像は一部日本で公開されていませんでした。先日のアメリカ人の虐殺もアメリカではモザイクが掛けられたそうです。ただイラク人の死体にはモザイクは掛けないのだそうです。何を意図され、何が真実なのか簡単にはわからない世の中ですが、真実というよりも、そこから感じる何かの方が大事かもしれません。そして写真や映像はその中でもダイレクトに何かを伝えてくれるんじゃないかと思います。そういった意味で日々の生活の中で他人事の様に戦争を俯瞰で見てしまう自分を食い止めるためにできるだけそういった写真を見て、その写真から伝わるメッセージを聞き取ろうと思うわけです。
ただそれによってこの国が悪いとかそういう何か具体的な答えが出てくるわけでは無く、人間というものはこういうことができる生き物で、それを止めることができるのも人間だけで、誰もが他人を不幸にしたいわけでは無いはずなのに、何故か不幸にしてしまう。そういうことをなんとなく理解できるだけです。そしてそういうことが無くなってほしいとただただ願うだけしかできない自分に対して無力感だけが増して行くだけなのですが・・・。そんな中でただできることは?と言えばここにそういうことを書いていくぐらいしかできていません。今回誘拐された3人の足元にも及ばない、半端モノです。しかしこれだけでも続けていこうと思います。
PS.
今回のイラク関係も色々写真は出回っていますが、アルジャジーラのサイトで少しだけあるので紹介しておきます。アルジャジーラのサイトで「Aljazeera exclusive in pictures: Falluja siege」というリンクを押すと表示されます。
ヘビーな話ですいませんです。