大豆食品メーカーかねさ(青森市、阿保建司社長)のミネラルウオーター「梵珠百水」が初出品の二〇〇二年から四年連続で大金賞。顆粒(かりゅう)みそ汁の「パラミソ」シリーズも大金賞に次ぐ金賞。パラミソは〇二年に大金賞、以降三年連続で金賞。
酒造業の鳩正宗(十和田市、稲本修明社長)の純米大吟醸「吟麗」が、九年連続の金賞以上受賞。一九九九年、二〇〇三年には最高賞の大金賞。
こういう話はもっとニュースになればいいのに・・。
ちょっと話がずれるのだけど、最近思うことは「そのものの本当の良さを人に伝える」というデザインよりも、「そのものを良さそうにみせる」デザインばかりが持てはやされているような気がする。(ここでいうデザインは広告の部分)
上記の商品のサイトはデザイン的に別に語るほどのものはない、もっと手の込んだすばらしいデザインのサイトはたくさんある。ただ根本は広告対象物の「良さ」であって、それを伝える、気づかせるのが広告デザインではなかろうか?と。しかしどうも商品、目的を無視した部分でデザインが語られていることが多い気がする。(それがデザインと呼べるのかわからないですが・・・)
確かに仕事である以上完全に「よい!」と思えるものが対象にならない場合もあるが、それでもうちらはそのものの良さを見つけ出し、愛せるようにならないと駄目なのだろう。その辺仕事だからと割り切ってやって作られたものがデザインされたものなのかどうか私にはわからない。
先日も某デザインポータルとかで絶賛されていたストリーミング系サイトとか、明らかに目的を達成してない(予算計上の策略?)とか思うようなサイトがあったりもして結構ゲンナリした。デザインってのをグラフィックとか仕組みだけで語るようになってしまうのは、ただのオナニーショウであって、それをデザインする立場の人間が無意識にやってしまうことは非常に危険なことじゃないかと思った。
デザインはクライアントの目的とカスタマーの利益のためにあるのではなかろうか?と・・・。
(ま、サービス形態の発展に伴い、そう一概に言えないパターンはたくさんあるのですけど)
ま、暑さのせいでこんなことをウダウダ考えている33歳既婚であります。
「モノの良さを伝達する手段」への2件の返信
暑さのせいでオレも結婚したくなってきました。
大殺界終わってからじゃないとダメ!w