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レコードとカセット

昨日の話を書いた後に、何故に自分がインターフェイスというか物の形というか、どうしてもそのものがそういう形を持つに至ったのか?思い返してみたのでメモしておく。
記憶に残っている中では小学生のころにレコードとカセットテープという同じ楽を鳴らす形が異なるメディアがあるのだろうか?というのが一番古い記憶。記録方式は違うのだけど、小学生のころはその辺は良くわかっていなくて、「録音できる」「録音できない」というぐらいの違い。それよりも気になったのはの記録の仕方。つまり「早送り」「巻き戻し」のロジックが違うことがすごく気になった。
分かりやすく言うとテープという媒体は時間方向のみの1軸方向だけの度しかないため、早送りはその時間軸を速い速度で移動していくしか行き着く方法がないのに対し、は角度と中心からの距離(曲)という2次元の自由度があり、法線方向の移動によって時間軸を飛び越えてテープよりも迅速に目的時間まで到達することができるということ。小学生のころはそんな難しい理屈はわからないのだけど、とりあえず宇宙戦艦のワープの図がこういうことなのだと理解した。


で、時間をするのはレコードの方がだということはなんとなく分かった。
しかしレコードは非常にでかい。溝の部分を手で触るとに怒られるぐらい取り扱いがめんどくさい。他に良い形はないのか?と小学生ながらに考えて「筒」という形でも同じようなことができて、しかも小さくできるんじゃないか?と思いついたのだけど、そのころ読んだエジソンの伝記で最初の蓄音機は筒の形をしていることを知る。
では、何故に筒から円盤の形になったのだろう?
何故カセットという時間の操作が不便なメディアが存在しているのだろうか?
という疑問が次から次へとわいてきて、それから粗大ゴミの日にはゴミ捨て場を徘徊しいろんな機械を拾ってきて分解する生活を高校生まで続けていた。(粗大ゴミの日は学校を休んでいたw)
多分こんなことが自分のものの考え方の基本的な部分に影響しているのだと思う。
しかし小学生にして時間軸の記録方式の形状として筒の形を思いついたのに、エジソンのようになれなかったのか?というのは自分自身にとっての永遠のだ(ってかみんなすぐに思いつくレベルの話なのだろうけどw)
ちなみにデジタルよりもアナログな機構のものが好きで(デジタルは理解できなかったw)、その中でもスライダ式の可変抵抗よりも、ダイアル式の可変抵抗の機構に美しさを感じるというのがオデの美意識の根本的なところだと思う。(あとアナログ時計の中身も好き。これはまたいつか機会があったら思い出してみることにする)
それでは仕事に復帰。

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