自己が存在してる以上、物理的現象以外に普遍的な真理などありえないと思いますが、この言葉もまさにそういう言葉。特にこういう体育会的思考は日本人の浪花節的琴線を刺激するのだろうし、事実オデもその傾向はある。ただまぁこの言葉が出てくるまでの経緯と状況が重要なのだろうけど、実際は結構安易に用いられている。
結果「やりすぎちゃった」みたいなことになりかねない。
(というか往々にしてそうなる)
オデは仕事柄なのか常にある事象に対しての意識と相反する意識を考える傾向が強い。
これが「リスクマネージメントに長けている(皮肉をこめて)」という評価を得ている理由なのかもしれないが、「川に古いつり橋が架かっているとして、それを渡ればすぐに向こう岸につけるが、もしかしたら橋が腐っていて落ちるかもしれない」と考えるのは普通だろう。ここで重要なのは「時間」「安全」どちらがプライオリティが高いか?であって、そういうプライオリティ設定を経ない形で「できることはすべてやる」っつーのは非常に危険。
斯く言う私も若いころは勢い勇んでこういう言葉を連呼していた時期がある。まぁそれはそれでそういう過程を経ないとこういう考えに至らなかったと前向きに捉えているが、正直赤面ものだ。
しかしまぁこういうエントリーを書くこと自体かなりのネガティブ思考だなぁ・・と思った。
もう少しポジティブになりたいと切に願うある早春の午後。
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