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2007

できることはすべてやる

自己が存在してる以上、物理的現以外に普遍的な真理などありえないと思いますが、このもまさにそういう言葉。特にこういう体育会的は日本人の浪花節的琴線を刺するのだろうし、事実オデもその傾向はある。ただまぁこの言葉が出てくるまでの経緯と状況が重要なのだろうけど、実際は結構安易に用いられている。
結果「やりすぎちゃった」みたいなことになりかねない。
(というか往にしてそうなる)
オデは仕事柄なのか常にある事象に対しての意識と相反する意識を考える傾向が強い。
これが「リスクに長けている(皮をこめて)」という評価を得ている理由なのかもしれないが、「川に古いつり橋が架かっているとして、それを渡ればすぐに向こう岸につけるが、もしかしたら橋が腐っていて落ちるかもしれない」と考えるのは普通だろう。ここで重要なのは「」「安全」どちらがプライオリティが高いか?であって、そういうプライオリティ設定を経ない形で「できることはすべてやる」っつーのは非常に危険。
斯く言う私も若いころは勢い勇んでこういう言葉を連呼していた時期がある。まぁそれはそれでそういう過程を経ないとこういう考えに至らなかったと前向きに捉えているが、正直赤面ものだ。
しかしまぁこういうエントリーをくこと自体かなりの思考だなぁ・・と思った。
もう少しポジティブになりたいと切に願うある早春の午後。

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