基本的な話だけど突っ込みとは愛であり、愛の無い突っ込みは突込みではない。単純に自己主張しつつ他人を蔑み言い負かすだけの行為であり、誰をも幸せにしない。
相手をより光らせるために突っ込みは存在し、突っ込まれた人はそれで光り輝くのである。
突っ込み突っ込まれお互いが愛を交換し光り輝くのである。(毒舌系でも根本はそうだと思う)
それが分ってない自己主張を含みボケを殺す「おれが!おれが!突っ込み」が最近巷に氾濫しているように見える。(おれはナニを心配しているんだ?w)
愛の無い突っ込みをしていると同時に誰からも突っ込まれなくなる。元々自己愛が強く他人に対して隙を見せないので、ボケ自体が存在しないのであるけれども・・・・。そーゆー時の笑いはなんか「あ~ぁ」という溜息交じりの笑いでやるせなさがつのる。芸人でも最近はそういう突込みをするのが多くて、テレビでこんなの放送するなよ!とか思ったりもする。
自分がかわいいから、自分が相手に対して行ったことばかり目が行き、相手が自分に対してしてくれたことにはあまり興味が無い。あるいは自分のアイデンティティ(なんだそれ?)の崩壊を防ぐために許容外のものは容赦なく叩き潰す行動に走るというのが「愛のない突っ込み」の動機なのだろうか?と思ったりもする。
個人的な感覚だけど東方は毒舌系が多いのだけど、やっぱタケシとか無茶苦茶だけど愛に溢れている。そういうの表面だけで捉えて理解していたりすると単純に「嫌な奴」にしかならない。上方はその辺分りやすい関係が多いので、大衆の中で「ボケ」と「突っ込み」というものが無理なく育っているように感じる。大衆の中に育ちにくいという観点から東方では「お笑い」はあくまで「鑑賞するもの」という捉え方で、それを生活に取り込もうという意識はあまりないように見える。
これは東京が生き馬の目を抜くような競争社会だからなのか、転入してきた余所者率が高いからかなのか分からないが、基本的に「ボケ」ないで「突っ込み」まくる人が多い。この辺「ボケ」たら「負け」というか「付け込まれたらヤバイ」という防御なのかも知れない。
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