6月2日 13時15分。
事務所で作業中のオデへワイフから電話。「破水したかも!」急遽病院へ。
診察の結果やはり破水。かかりつけの帝京大学病院は医師不足から小児科が閉鎖され、30週の胎児をケア出来ないとのことで、至急転院先を探す。
モニターしている胎児の心音が流れる診察室の中で待つ。
定期的な痛みがワイフを襲い、その都度医者や看護婦がバタバタしている。
なかなか転院先が見つからない。途切れ途切れに聞こえる壁の向こうの会話が気になる。
何度か転院先が見つかったか質問するが、救急センターから返事が来ないの一点張り。
そういうシステムなのだろうけど、進捗の分からない待機の状態は精神的にかなり辛い。
時間の流れがとても遅い。
嫁のおなかの中で子供がモゴモゴ動いているのが目で見える。苦しいのか、元気なのか良く分からないけれど、とりあえず目の前でまだ動いて生きている。しかし何もできない。手の届く場所にいるのに触ることすらできない。
15時。転院先がやっと見つかる。
しかしNICUはあるが、手術室は満員のため手術対応が出来ないとのこと。そんなことをさらっと言って立ち去ろうとした医者をちょっと引き止めて質問する。
「もし手術が必要になったらどうなるんですか?」
「えー、その場合はまた転院先をさがすことになります」
破水してから既に1時間45分、病院に入ってから1時間以上経過している。転院先を一軒見つけるのにこれだけの時間かかっているのに、また手術もできるところを探すのにどれだけ時間がかかるのだろうか?流産の妊婦が搬送先が見つからず救急車で何時間もたらいまわしにされて死亡したというニュースが脳裏をよぎる。眩暈がした。
しかし手術ができなかろうが、現状受け入れ先はそこしか選択の余地は無い。
どこの病院なのか名前も教えられないまま、救急車へ乗り込み終わりの見えないドライブスタート。
救急車の速度や揺れがとても気になる。揺れるたびにワイフが顔をゆがめ、点滴の機械がアラート音を鳴らし、医師が機器の設定をしている。
10分。まだ病院に着かない。
20分。まだつかない。どこまでいくのだろう?
30分。やっとついた。
15:30、搬送先の病院に到着。そのままワイフは分娩室へ
白くて長い何も無い廊下に一人呆然と立って待つ。一体ここはどこなんだ?
殺風景な何もない白い廊下は時間の感覚が無い。
何をどれくらいの間待っているのか分からないけれど、ただただ待つ。
時折、検査機器をあわただしく搬入していく人たちが横切る時だけ時間が少し動く。
待つ。
待つ。
待つ。
1時間ほどして処置室内に呼ばれ、分娩台に横たわるワイフの横で医師の説明を受ける。
状況はあまりよくないが、出来るだけ胎内にとどめる処置をしていく。おなかの張りを押さえる点滴、肺の形成を促進するステロイドの投与等の説明を受け、その後入院・手術に関する諸々の書類にサインをしていく。嫁はそのまま処置室で監視状態で待機することに。一方マイソンを保育園に迎えに行かねばならない時間になったので、急いで病院を出る。
しかしここがどこだかよく分からず、病院の人に場所を聞く。怪訝そうな顔をした病院の職員から「川崎ですよ」と言われる。うーん、おれも川崎から来たんだが・・・汗。質問が悪かった。最寄り駅はどこか?「川崎駅です」との答え。結構遠くまできている。そんなに病院ないのか?どっちが駅なのかもさっぱり分からなかったのでとりあえずタクシーで駅まで。どうも川崎スタジアムの近くっぽい。なんとなく景色に見覚えがある。
南武線に乗って帰宅後、ワイフが入院したことを子供に説明。しばらくお母さんには会えないこと。赤ちゃんも産まれてくるか分からないこと。うまく伝わったか分からないけれど、聞き終わった後に「パパ、お手伝いすることあったらアッキーに言ってね」と言われた。涙でた。
ありがとう。パパはまだがんばれるわ。
今日は二人でマイソンの部屋で就寝。