ほぼ日刊イトイ新聞 – おとなの小論文教室。Lesson448 持ち出す感覚
表現者って立場ではないのだけれど、僭越ながら人生において共感する部分が多々あった。
最も言いたいことは、
最も言いたくないことのそばにあると私は思う。
だから、表現というものは
恥ずかしさを伴うものだ。
そして同時に、そういう表現の世界で
表現というものは
恥ずかしさを伴うものだ。
だからこの恥ずかしさに耐え切れない人もいる。
逃げたくなったり、
あまり恥ずかしいと攻撃的になったり、
人に文句を言いたくなる人も出てくる。
こういう風になる時もある。
知ってるふりをしたり、
できるふりをしたり、
経験あるふりをしたり、
自分を守るとか、
カッコつけるとか、
屁理屈をこねるとか、
こうある”べき”だとか、
ただそれは問題を先送りしているだけで、
ソッチの方が「カッコ悪い」のかもしれない。
「カッコ悪い」、「カッコイイ」とかそんなことに囚われている事自体が「カッコ悪い」のかも知れないけれど。
「持ち出す感覚」への2件の返信
エッセイは本当に好きです。 共有していただきありがとうございます。
ペコリ