昔使い捨てカメラを郵送し、その過程でいろいろな人が1コマずつ撮影していくというとても素敵なイベントがあったけれど(詳細忘れた)、あれも実際のモノとしてのカメラが色々な人の手を介在して、時間を経て戻ってくるというところにカタルシスがあるように感じる。
枝雀の「緊張と緩和」ではないけれど、「溜まっていく澱の解放」は、人の心に様々なイメージを掻き立てるのだろう。
ネット上だとこういうのは簡単にできてしまうのだけども、その容易さ(ストレスのなさ)が逆に足枷になったりすることもあるのだろう。
Via.ほぼ日刊イトイ新聞 – THE SKETCHTRAVEL
しかし最近ブログ書くときに動画を引用する率が異常に高いな。
動画について思うことも色々あったりするのだけど、まだもやっとしていたりするので、またそれはどこかでまとめようと思う。
カテゴリー