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スイートスポットなんてない

興味深い記事を見つけたのでメモ。
意外と知らないメニューの罠 : ギズモード・ジャパン
情報レイアウトで「スイートスポット」と呼ばれるものがあります。簡単に言うと「ユーザの目につきやすいエリア」ってこと。紙媒体だけではなく、店舗でも、テレビでも、Webでもそういうエリアが存在し、デザイナはそこに思惑を込めて情報を配置してゆきます。信憑性に関しては、根拠となるロジックがなんとなしに則的にマッチしたりというボンヤリとした場合が多かったりしますが・・。(Webの用にユーザ操作にリアクトする媒体に関してはポジションだけでなくムラインも関与してきます)
はきちんと科学的に測定された結果に、それらしい文脈の付いた理由が定義されているのだろうと思っていたのですが、そうでも無かったっぽい。という記事です。
レストラン業界のメニューにも同様のセオリーがあるらしく、それは

メニューを手にとると客の目は真っ先に右手真ん中よりやや上に行く。そこを起点に右上のコーナーに進み、上をズイーッと左端まで見て、次に左手を上から下に読み進んで、最後に右下と真ん中の残った部分を見て終わる、というもの。

というようなものだそうです。んが、それを改めて赤外線網膜スキャナーを用いて実験した結果「スイートスポットなんてない」という結果になったという記事です。
あくまで圏のレストランのメニューのお話なので、日本でそのまま鵜呑みに出来るか微妙ですが、Webにおけるスイートスポットについてもきちんと測定とかしてみたら面白そう。
以下駄文・・・


仕事柄なのか分からないですが、情報レイアウトに接する際に、何故この要素がここにおいてあるのか?なんてデザイナの意図を再構築しながら裏読みしてしまうわけですが、その判断の根拠になっているものは結構曖昧なものだったり、経験則に基づいた主観だったりしているのでしょう。(これが生物機能、心理的、文化的、どの部分に依存しているのかも曖昧な気もします)
そういう曖昧な部分に疑問を感じ、明確な答えを求め、絶対不変的な何かを作りたくなる衝動を抱えつつも、実験結果は正解で、それ以外は誤りであるという0/1の世界はハッピーなのか?という1984的な反抗心や、新しい何かを自分が見つけられるかもしれないなんて野望を綯交ぜにしてデザイナはをしていたりするのかもしれません。
世相、文脈、文化などなどで瞬間瞬間の絶対値は変動していて、そういう空気感のようなものを読み解きつつ、世の中に刺を与えていくってのはデザインの醍醐味の一つなのだろうと思っていますが、それはデザイナのエゴだという話もよく出てきます。
しかしまぁ何にしても結果が良ければOKで、悪ければNGというのが現実なんじゃない?と思います。
(「勝者こそ正義」という使い古されたフレーズがありますが、その瞬間においては概ね同じ意味)
こんな話をしていると、ではデザインには正解は無いのか?動物のフォルムは理想の形ではないのか?って話がでてくる。運動学や構造などに正解はあるかもしれないけれど、それは条件の問題。もしイルカが泳ぐのに最適な形だったとしても、が干上がったら意味が無い。これも結果論として今生き残っているってだけの話なのだと思います。そして人の嗜好に関して言えば、大きな方向性はあるけれど、その枝葉は細かく分岐しているし、例外もある。
遺伝子的な視点で考えると「多様性」を維持することが、遺伝子にとっての最大のリスク回避方法。
ドーキンスだかが「生物は遺伝子の乗り物である」とか書いてたと思いますが、生物レベルの次元で論じる話では無いのかもしれません。(怪しい・・・)
ただ人間はを払拭するためなのか定義化をやめることができず、すぐに「**する10個の***」なんてものを作りたがるし、我々も安易にそれを求めてしまう傾向がある。しかし理屈は結果に後から辻褄をあわせているような部分もあったりするので、責任をとってくれない理屈に溺れることなく、セオリーを超えるための様々な経験を積んで、軽や、靭やかに時代を渡っていくのがデザイナの理想なのかな?と思ったり思わなかったり。
支離滅裂なことをツラツラと書いていますが、実は「理想の性が全員一致するのか?」という理由で、あっさり本能的に腑に落ちたりするのかもしれない。
世の中は広く、人の心は果てがない。
生きているってオモシロイですなあ。
40歳厄年。

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