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子どもたちの視界とよしなにな境界

クリスマスが近い
なんとなしにマイソンにサンタに何をお願いするつもりなのか聞いてみたところ、自分が持っているもの、テレビでCMしているもの、もしくは友達が持っているものに候補が偏っている。自分達が子供の頃プレゼントをどうやって選んでいたかワイフと話してみた
「新聞のチラシ」
この時期、新聞にはおもちゃ屋のチラシが頻繁に入っており、それをコタツに寝転びながら心ゆくまで眺め、見たことのないオモチャに夢を馳せ、オモチャ界の動向を把握し、サンタに何をお願いするのか決めていた。当時の子供の小さなコミュニティはテレビとチラシをハブとして、外界と接続しコミュニティ間の言語を共通化していたように思う。
クリスマス商材は大人向けにページでまとめてくれるのも結構だが、子供向けに、昔のチラシみたいに印刷して子供に手渡せるPDFフォーマットみたいなものがあると便利なんじゃないかしらと思ったら、すでに先生は展開していた。アマゾンクリスマスカタログPDF(何故PDFからリンクさせてないのか不明)
トイザらス先生も万全であるトイザらスクリスマスカタログ(こちらは一気に印刷できなくて不便)
一方先生は、ジュエリー、スイーツ、バッグ、小物、、オモチャという構成である。ヒルズ族的思考で攻めているっぽい。
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さて、ここで話は終わらず、更に潜ります。


経由で情報にアクセスする現代、「情報格差」「情報弱者」という問題が存在している。これはは高齢者問題、格差問題に付随する問題として取り扱われることが多いが、前述を踏まえると家庭内でも発生している。しかし同一家庭内で大人はその状況に陥っていない、子供はその存在を知らないため問題視に至らないという、認知が難しい問題である。印刷物からデジタルへの遷移に伴い、受動的に存在していた媒体形状から、能動的な取得対象への変化により必然的、暗黙的に発生した表出しにくい問題状況の一例だろう。
では、過去は問題なかったのか?
新聞の情報密度は非常に高く、チラシも含めると社会を情報属性、地域性ンスよく全網羅した構成なのだろう。そのため世代、性別を超えてハブとして機能したメディアとして活躍していた(ニーズに合わせて変化したとも言えるが・・)「全網羅」とくと非常に仰しい感じであるが、早い話が「よしなに」である。
昔が良かったという懐古的な話に繋げるわけではない。情報媒体の多様化、趣味嗜好の細分化、分析評価への柔軟性などにより、新聞はニーズを失い、かってほど隆盛を極めていない。そこはもう時代の流れである。大事なのは
「よしなに」
これかなーと思う。
これはとても曖昧で、繊細なスタンスである。
広くジャンルを縦断した情報をMIXすれば良いという話ではないのだろう。
「よしなに」にまとめるのである。
新聞に変わる「よしなに」なメディアは存在するのか?
テレビは娯楽に偏り、情報媒体としての価値を見出すのは難しそうである。インターネットは指向性が強く、恣意的であり、能動的な意識が必要である。雑誌はパイを取り合うために先鋭化しているように見える。未だ新聞自身しか、その役割を果たせていないように感じる。
ここで異論があるとすれば、インターネットの「ポータル」に対してかも知れない。
かつてインターネットの世界で「ポータル」という形態が隆盛を極めた時期があった。ただ「よしなに」というよりも、ただのピックアップニュースとバナーの複合体で、その記事構成は思想に基づかず、対象はあくまで大人である。
新聞のようになんとなしに家にあり、なんとなしに見れ、なんとなしに成長していく。
そういう「よしなに」な存在は、どのような形でインターネット上に存在するのだろうか?
(または存在しているのだろうか?)

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