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それが「人生」ってことじゃんよ!

子供祭り。戦後のバラック街のようだ 子供だけで店が運営されていて、売り物、客引きとても興味深い。(タイトルコールはスペース☆ダンディ的な感じで・・・)
先週の日曜日に羽根木公園のプレーパークにて行われた「子ども商店街」
子どもたちが自分たちの力で店を作り、商品を考え、販売するという
廃材をトンカンして作ったであろう歪な店舗が並び、うどん、ラーメン、おにぎりなどの一般的なモノから、演奏、包帯巻き、露天風呂、手品、ベーゴマ、御札販売なんて独創的なものまで販売されているさまは、戦後のバラックや、サイパンクの街を思い起こさせる不思議な空間で、文化、学園祭などの「学校」という日常空間を母体とした模擬店とは「逞しさ」という点で空気感の異なるものでした。(この件については他事でも同様の感覚があり、興味深く思っていますが、長くなりそうなので今回は割愛)
現代社会において「モノを売る」ことは「生きる」ことに強くつながる行為です。
インターネットの普及により「購買」に新しい形態として、「オンライン」という「時間・場所からの開放」「販売時の対面機会の消失」を特徴とする形態が加わって約20年。今後「購買活動」に占める割合はますます増えていくことでしょう。


しかし、直接接触を伴わずとも行為の両端に人は常に存在し、その過程における行為と体験にさほど大きな差は無く(精度という観点では、対面の方がシャープさを伴うのかも)、いわゆる「ビジネスとして成立」の要素を理解するために、以下の行為を【「商品・お客さん・お金」を「目で見て、肌で感じる」】ことで体感・体験することは、的確、且つシンプルなのだろうと思います。

  • お客さんに買ってもらう商品を作り、価格を設定する
  • その商品を飾り付けて、お客さんが来るのを待つ
  • お客さんに商品を勧め、購入してもらう
  • 商品を手で渡し、お代を手で受け取る
  • お客さんが商品を利用している姿を見る
  • 閉店して売上との比率を知る
  • 収入で必要なものを購入する

狭いドメイン内でプイダ、ユーザの立ち位置が攻守入れ替えるような展開になる訳で、その状況に対して「われわれはユーザでは無い」という慧眼的な言葉を抱きつつも、一般的には生存継続のために「供給(プロバイダ)」「消費(ユーザ)」の両面を持たざるを得ず、それはビジネス云の範疇を超え、シンプルに『「人」が「生きる」』、いわゆる「人生」(縮図、もしくは一部)として捉えて良いのではないかと思います。
その上で上記体験にはお金(ビジネス)の話に限らない、【『人生』を生き抜くための必要要素】が十分で無いにせよ、多分に含まれており、その認識はの行動を理解・判断する場面において、重要なファクターになるものだろうと考えます。
ということで、来年マイソンを参加させようと思いました。
そもそもプレーパークとはなんぞや?という人は以下をご参照ください。

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