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「意識が高い」と言われること

俳句に限らず、「意識高い」と揶揄されるものは全般的に「を隠蔽するために、意識が高いものを利用したが、隠しきれずに漏れてる」という痛しさだけでなく、その後の議論サイクルに現れる「論点ズレ」の痛々しさも半端ないものである。
そもそも「意識高い」というは「視点が高い・広い」「高尚である」を意味しているのでなく、「実力と意識にズレがある」「口だけ番長」的な意味で使われているはずなのに、対者が「褒め言葉」だと純に受け取っている節がある。
この認識ズレを内包したまま話が展開するさまは、的には落語(もしくはアンジャッシュ)と一緒だが、ネット上の衆人環視下でオチなく進んでいく様は、もうただただ痛々しいだけでしか無い。
自分も仕事で「意識高い系」摘されることが多いので、そういう場合、自分を見直すように心がけているけれど、最近は「意識高い」の乱射が目立つ。つまり相手への揶揄ではなく、自身のコスト調整や対応調整を行うための伏線とする(つまり裏が透けている)ケースが老けている。言葉の価値でなく、言葉を使う側の意識とレベルが低下している印象。
「意識高い」って言葉で相手を揶揄する「意識高い」人みたいなね・・・。
ミイラ取りがミイラになってる状態。


例)意識の高い2人

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