国内配給権終了という最後の機会に滑り込んできた2001年のサブカルキッズ大好きアメリカ映画。
2001年公開時には観れておらず女性視点の”BEAVIS AND BUTT-HEAD“みたいなイメージを持っていた映画。密かにGoledn EggsのRebecca方が馴染がある・・・😅
密かに製作にジョン・マルコビッチが名前を連ねていたりする・・・以下ネタバレ・・・
世の中を斜めに観たニヒルなオタク映画を予想していた自分を殴り倒したい気持ち。
控えめに言って最高に良かった。大好きだ。
モラトリアムからの巣立ちに追われる何者でもない自分を肯定しないために、虚栄を張り、他者を見下し、嘲り、攻撃する自身の愚かさに気づきながらも、収め方がわからない暗黒時代。
何者でもない自分を受け入れること・・・これを否定と捉えるか、肯定と捉えるかで、その後の社会と自我の関係も大きく変わる。
奇しくも前日に観た「ブルーピリオド」の美術部顧問の美術教師と、本作の美術補習教師の両者ともが、自己内面へのアプローチを18歳に対して提案していることは興味深く、人が自立する儀式としての自己認識プロセスと、美術における内省は親和性がとても高いのだと思う。
ちなみに、このアプローチに対してブルーピリオドは前向きに戦略・戦術を駆使して前進し、ゴーストワールドはそのロジック、アプローチをステロタイプとして冷ややかに嘲るという180度異なる展開に至るわけだが、この美術補修のプロットはフェイクに満ちたモヤモヤする気持ち悪さで溢れかえった素晴らしい内容だった。
エンディングについては色々な考察があるけれども、自分はこの映画の登場人物はこれから自立を求められている人間の脳内にある色々な思考が擬人化されたものかいなーと捉えていたりする(攻殻機動隊のゴーストと考えると実はしっくり来る?)
生きにくさを感じているのは自分だけなのか?
これは罪なのか?自分はおかしいのか?欠陥品なのか?
社会に投げ込まれる自我の不安定さが普遍的なものなのか確認する方法もわからず、人にも相談できない苦悩する人々にとって、この映画は救いの映画になる。
しかし社会に出る前の年代の人間が観るべきなのか、それとも社会に出る際に何かを妥協した後悔に苛まれている人間が観るべきなのか判断が難しい・・・。個人的にはできるだけ早く観たほうが幸せになれると思うけれど、理解できるのは18-27歳ぐらいまでの世代になるのかもしれない・・・
50歳を過ぎて、こんな素敵な映画に出会えるとは思わなかった・・・。BlueRayも買おうと思う。
余談
レンタルビデオ屋のシーンで老人が探している映画がフェリーニの「8 1/2」だった。これ年末に途中まで観て挫折したばかりのタイムリーなネタで一人暗闇の中で笑ってしまった・・・😅