技術や手法による可能性を語りたがる。
しかし実際は何もしない。
というかすることが無い。
でも可能性を語るのは大好き。
人がある程度の数集まると
何か仕掛けないといけない
反射的に思ってしまう。
しかし仕掛けた先は何も無い。
仕掛けだけだ。
きちんと自分はかなり前から着目していたという一言は忘れずに。
ただライバル心からあまりに早い時期から注目していたことにすると、
そもそもその技術自体が存在していなかったりするよ。
気をつけて、アモーレ。
カテゴリー: 2006
絶対的信頼関係に基づいた人格破壊行為。
シールドをゼロに近づけ
互いの血が互いの血となり
互いの苦痛が互いの苦痛となり
そして互いの悦びが互いの悦びとなる。
故に生体から離脱
ラップされたその姿は精神的な美
そして沈黙は沈降の速度を増し
内が外を包むようになる。
そゆこと。
自分以外の目で見ること
とある案件でトランジションにモザイクを用いたのだけど、デジタルっぽいという理由で差し戻された。個人的にモザイクにデジタルっぽいという感覚があまりなく、イスラムのモスクとかヨーロッパ中世宗教美術のタイル画というイメージだったのでちょっとショックだった。(枡目描きだけど若冲の樹花鳥獣図屏風とか)確かにデジタルのモザイクというと匿名インタビューとかエロビデオとかそういう感じで、(後はSF?)やっぱまぁそういう方向で連想されたらよろしくはない。声も高くなっちゃうし。(関係ないw)
自分では表示されているパーツをタイルみたいに分解して再度組み立てたら違うものになっていたっていうクレイアニメチックな感覚だったのだけど、クライアントがそうは受け取らなかったということは、キチンとその辺が伝えられるものが作れていなかったということ。モザイクが動的に変化すれば前述のような印象を持つ場合があることはちょっと考えれば分かることだった。も少し自分の頭のなかのイメージを見返す必要があった。これってごく当然のことなんだけど、知らず知らずに視野が狭いまま突っ走ってしまっていた。ということで反省の意味もこめてメモ。
今日も徹夜だ。
武田 鉄矢だ。
うーむ・・・。
寒い。
恐らく自分はかなりのネガティブ思考だと思う。ただそれはネガティブに考えることでその先に発生するであろうトラブルを回避するためのネガティブさのつもりなのだが、時に周りにあまりよろしくない影響を与えるときがある。さらに悪いことに根本的にかなりのオポチュニストでもある。これはさらに周囲の人間にとっては難解な部分らしく、さっきまであんなにネガティブだったのに、何故あんなにあっけらかんとしているのか?というのが周囲の感想らしい。
ということで周囲にアドバイスしたいのは、あんまりオデの言動を気にすることは無いということだ。
自己発散して自己収束するので放っておいて構いません。
ということで今一人一つの素材を作るのにシコシコとパスを抜いて、色調整して、パーツを作ったりと延々4時間近くやっている。結構こういう作業は楽しかったりする。
そして今日ののだめは泣けた。元々クラッシックの生演奏を見ると感動して涙ぐむんでしまうのだけど、それがドラマになっている時点でかなり涙度は高い。何故オーケストラはあんなにも感動するのだろうか?あとパイプオルガン。アレもヤバイ。あと集団読経。あれもヤバイ。
さて、仕事復帰。
親ばか日記です。
今日(というか昨日)子供が結構長時間立ちました。今までちょっと偶然立っちゃったみたいなのはあったのだけど、今日はゾンビのようにヌボーと10秒ぐらい立っていました。当然まだ歩けません。
そして「パーパ」と喋りました。まだ意味は分かってないような気がするけど、一応オデが「パーパ」と言うと真似して「パーパ」と言っていました。ちなみにまだ「ママ」は喋ってないそうです・・・。いいとこ取りですいません・・・。
ちなみに「パーパ」とは「パパ」ではなくて「爸爸」のほうです。(正確にはバーバが近いかも)ちなみにお母さんも中国語だと「マーマ」だったはず(漢字忘れた)この辺英語と語源が繋がっているのか分からないけど、子供にとって発音しやすい音が「pa][ba][ma]とかだという話も聞いた覚えがあります。
まぁそういう話だと小さいころから疑問の「道路」と「ROAD」がさかさま言葉になっているのには何か意味があるのか?ということに誰か答えてください。いや、別に答えなくてもいいけど。