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言葉遊び

点と点はそれぞれ線でつながっているのに、点でしかものを捉えられない、言葉や文章ではそれらしく線としてつじつまがあっているが、結局それがリアルに落とし込めてない、それではまったく意味がない。ただの言葉遊びの自己陶酔にしかならない。
言葉は思いではなく、写真は瞬間ではなく、理屈は現実ではない。
人格というフィルタを通して、共通要素として提示されているに過ぎず、アプローチの提示、自分の意見の提示を超えて、土足で人の庭で土木工事をはじめるような行為は既に他人のためではなく、本人のエゴになるのかもしれない。
考えないで感じる心、それがあって、はじめてフィルタを通して人に伝えるべきで、感じず、いきなり自分のフィルタを通してしまってアウトプットすることは、その物事の本質をスポイルさせ、ピントがずれていってしまう。そしてアウトプットはあくまで自分のフィルタを通しているもので、それは自分の線の中でのルールであり、それを他人に当てはめる、または押し付けることは非常に危険なのだということを理解しないといけないのだろう。

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