カテゴリー
未分類

LOVE DISTANCE

ずーっと前にエントリーに書いていて公開するか迷っていたのですが、今後の自分のWEBのってところでも意味を持ちそうな企画なので公開しておくことにします。(まぁ大体色なプロジェクトについて同じように考察してエントリーして公開はしないのですが・・・)
“LOVE DISTANCE”:http://www.lovedistance.jp/
詳しくはサイトの方を見てもらうとして、概要は

『LOVE DISTANCE~僕らは、10億ミリ離れていた。~』は、愛する二人が別々の地点からランニングを開始し中間地点辺りで再会する、という「恋愛における距離」をテーマにしたストーリーを伝える視聴者疑似体験型ウェブコンテンツです。

というもの。
二人の男女が走っていく様子がネット上でリアルて公開されていて、それを見つつ恋愛について考えるという趣旨の企画です。
何が興味深いか?というと、企画がTVへの回帰的なものであるように見えるという点と、それをネットで展開しているという部分。


回帰していると感じたのは、過去「電波少年」でT部長(現取締役)が用いていた手法に似ていると思えたから。
簡単に「電波少年」について説明すると、「電波~」は芸人をテレビ局権力の枠で完全に制圧し、追い込まれた人間の様子を伝えるバラエティー番組。(一方で傲慢なテレビ局側の態度と成り上がりたい芸人の関係はリアルドキュメンタリーとして観ることもできる。) 企画自体がやらせであったとしても裏の芸能界のリアルを意識するからテレビに映る芸人の悲喜交々を笑い飛ばせるのだ。それは持たざるものの現実の姿でもあり、視聴者は少なからず自身を投影し、笑えないから笑うしかないという自嘲に満ちた笑いだったように思う。(学生はそんなこたー思わないだろうけど)この番組の終了は、団体みたいなものの等の圧力もあったろうが、視聴者の「もう現実を見せるの勘弁してくれ」という潜在的な拒否感もあったんじゃないかと思う。
ではまぁそれを踏まえてちょっと考えてみることにする。
企画のベースとしては
・参加型コンテンツである。(一般ユーザから抽出された二人として)
・リアルタイム展開コンテンツ(長期継続コンテンツ)である。
・クライアント、商品?が不明(これが無いのは根本的に辛いですが)
を前提とします。
一応俺の精神は歪んでいるので、一般的じゃない意見として読んでもらえれば・・・。
1)画面の向こうの二人(一般ユーザからの抽出)に共感してもらえるか?
電波少年は「そりゃやらせだろう」と「テレビ局の力」「成り上がりたい」等が渾然一体としており、そこがサラリーマン等には不気味なほどリアルで認めなくないが共感せざるを得ないという感じだったと思う。
「困難を乗り越える心をささえるもの」が理解できるかどうかが、ユーザが共感するためのキーになるとおもうのだが、それはこのプロジェクトでは「相手への愛」というのが設定されたキーだろう。
ただ、企業であること、先々になると明記してあることが我々にこの二人は何かしらの契約を結んでいると考えさせてしまう。(今回の応募要綱を詳しく知らないので分からないが・・、一応100万もらえるのかな?)あとは二人の問題に対してこの「走る」という行為が直感的でなく、「金銭的(契約的)圧力」のリアルさに比べ、「愛のために走る」という行為が負けてしまっているように感じる。つまり「なんで走るんだろう?」という部分を強く感じました。
例えばこの企画を「電波~」風に構築するとすると、こんな感じじゃないかと思う。

「浮気をした彼氏」を許せない「彼女」というカップルが居る。
「彼女」は「禿のおっさん」と結婚式を沖縄ですることにする。一方「浮気をした彼氏」はに身一つで放置され、結婚式の日までにヒッチハイクなどを繰り返して沖縄から結婚式会場到着して彼女にもう一度告白する。間に合わなかったら「彼女」嫌々「禿おっさん」と結婚することになる。

みたいなバッドエンドが設定されるように思う。「電波~」の場合はバッドエンドになっても、笑えさえすればOKで、ある意味リアルなのだ。だたし広告でバッドエンドは許されないだろうし、それを考えてしまうとプロジェクト内で語られる「愛」の価値は失墜してしまう。(もしかしたら24日までに会えなかったら別れるとかいう条件があるのかもしれないが、企業イメージを考えるとやっぱそんな非人道的且つ高圧的なことはできないよなぁ・・と思う)
2)ネット上でのヤラセ劇場としての反発はないのか?
個人的にはWEBって既存メディアへのアンチテーゼという自意識が強いように感じる。そういう世界の中でユーザ参加型(走っている二人)ではあるけど、他のユーザの介在不能且つ、ある程度結末の予想できるこの企画は現状のネットでどのように受け入れられるだろうか?(長期継続劇場型コンテンツの中傍観者と定義されたネットユーザの存在意義とは?)
3)ユーザ参加型コンテンツにユーザが疲労しているのか?
2)に関連するのだけど、WEBは自己責任の名の元に、溢れかえる情報を取捨選択するというスタイルの世界だけど、そういうのにみんな疲れてきているのだろうか?元々WEBの面白かった部分ってのは負担になりつつあるのだろうか?
こんなところが企画の結果として興味がある点。
ではこれに自分だったら何を加えていくか?を考えてみる。
(広告上色々な制約があることも理解の上で好きに書きます、スイマセン)
a)ネット上でのユーザの介在方法
二人は基本的に連絡を断絶されているのだけど、1日一回だけ公開されたテレビ電話での会話を許されている。これを二人は直接話させないで、ネットユーザとのチャットを介してのみお互いの様子確認できるようにしたら面白かったように思う。(男を見ている人は女性側とチャットとか)妙な親切心を発揮する人、また嘘を吹き込む輩も出てくるだろうし、女に告白するようなアホもでてくるかもしれない。そういうネガティブな雑も含めてそれを二人がどう乗り越えるか? ネットユーザはそれに対して傍観者でもあり介在者でもあるという、つまりユーザサイドでも敵対関係を構築させてしまうってのはバイラルの効果的な使い方じゃないかなあ?と思う。
b)リアルに走っていることとを有効に使えないか?
ユーザから抽出された二人は実際に道を走っている。ただそれが中継されているだけでは非常にもったいないように感じる。ネットユーザをリアルででも介在させたらリアルに走っている意味が強くなるのではないか?と思った。安易な案ではあるけど、各中継ポイントで署名を100人から貰ったら次のポイントへ走り出せるとか?(ネットなので署名じゃなくって、カメラで動画の応援コメントとかで、それをサイトで公開でも良い) サイトを見ているネットユーザが「ああ、明日うちの街に来るんだ。じゃあ行ってみようかな?」とか「神戸で足止め食ってんだ・・・」みたいなアクションができたら(非常にリスクはあるけど)なんか一体感でてくるかなあ?って思った。いや、食事とか宿とかそういうのをネットユーザから提供してもらうとかでも良いのかもしれないけど・・。(そっちの方がリスク高そうだけど)リアルでもユーザの介在ができる(しかも神目線w)ってのは面白そうな気がする。ある意味二人にとって、それは二人を応援してくれるリアルなパワーな訳で、そういうのってなんかゴールしたときの感激とか、見ている我々の達成感も増幅されそうな気がする。
c)二人にとってもっと重要な結末を与える
実際どういう設定になっているのか分かんないんだけど、「結婚する・しない」ぐらいのゴールがあったほうが見ているほうには分かりやすい気がする。まぁそれが「結婚式を無料でおこなってあげる(一般ユーザ参加で)」とかでも良いかもしれないけど・・。24日に会場で親族とかユーザとかが待っている中に走りこんできて結婚式(24時間テレビみたいだけど)とか明快に分かりやすい。(間に合わなかったらボーイがそそくさと料理を片付け始めるとかw) それか二組のカップルで早く到着した方が結婚式挙げてもらえるとか?(ちょっと結婚式争奪ゲームみたいで趣旨が変わってくるけどw)
なんにしてもこの手の参加型企画でユーザを神(悪魔)の位置に設定してコンテンツの追い風、逆風として関与させるってのは自分の中では面白いと思っているのだけど、広告だと制御不能な分、難しいのだろうなというのも理解はできる。ただ今のハードルはちょっと不明瞭に思えたりします。
なんにしてもこの企画がネット上でどのように評価されるのか?は今後自分が企画を立てていく上でも重要な要素がたくさん含まれているように思うので、見守って行きたいと思います。
公開に問題があるようでしたら連絡いただければ削除します。
ペコリ
add 2008/12/14 11:33
関係者の方からメールいただきました。ありがとうございます。
で、も一つ書くのをていた付け加えたらどうだろう?コンテンツがあったので追記しておきます。
d)人間賛歌としてのアーカイブ
OKwebやらはてなとかから始まった「教えて」系コンテンツと仕組みは同じ。登場している二人の疑問にユーザが応え、それをアーカイブとして残す。走っている間二人は走っている間「何故彼(彼女)じゃなければばらないのだろう?」「こんなに苦しい思いをしてまで何故?」等恋愛を中心にした事項について自問自答していると思う。(座禅に近い) そういった状況の中ででてくるこれまで相手に対して思っていた疑問、不満など公開して、それにユーザが答えていく。
走りながら、自問自答して、さらけ出して、ネットユーザの力も借りつつ成長していく。
例えば10日目で怒りを吐露し、ユーザからの返答も踏まえて、10日間走りながら自問自答する。
結果20日目には解決しているかも知れない。(さらに疑問が深まっているかもしれない)
その記録は人間賛歌として非常に価値のあるものになるんじゃないだろうか?と思う。
純粋に恋愛について熟考し変化していく様は、時代を超えて普遍的に意味を持つような気もするし、ある意味小説的でもある。(結果どうなるか分からないが)

「LOVE DISTANCE」への2件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です