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コロンブスの卵

ADテック九州のA/Bテスト系のトピックで「博打要素の大きいよりも、検証の地道な積み重ね」的な話を読んだ。科学的に統計に基づいた改善による実績の向上に関してはためになる部分は多かったが、端に織り交ぜられた「企画不要」な主張から滲む強いルサンチマンで、全体の印が「あぁ々あるんだなぁ」となってしまったのが残念である。
そもそもにおける「A/Bテスト」自体が運用サイクルにおける「改善・評価」のイノベーティブな企画だったと思うが、そこを無視して「A/Bテスト」範疇にとどまった視点から「企画」批判している部分が、「コロンブスの」的な印象。


「A/Bテスト」という概念が無い時代に、彼らに「A/Bテスト」を提案したら却下されるのだろう。
彼ら自身A/Bテストに変わる評価法を模索していたりするのかは不明だが、アメリカなどで新しい手法の成功事例が話題になったら取り入れるのかもしれない。
そもそも企画と運用は敵対するものでなく、企画は大きな、改善・評価はその微調整で精度を更に高めるという双方必要なものであるはずなのに、敵対論調になるのはなぜだろう?
糞企画こそA/Bテストして改善すれば良いじゃんよと思ってしまうけれどもね。
社内におけるパワーバランス的な話なのか、仮想敵が無いと存在が確立できないのか、正直社内まで読み取れなかったので、よくわからなかった。
しかし、人生の上、異性をゲットするのに、企画・運用ともに重要なのは理解しているだろうに、仕事になると自部署の視野に留まった発言になる原因はなんだろう? 組織・分業の意図を正確に理解して、自タスクを実践しているということなのだろうか?
まぁもし、そうだとしても敵対する必要はあまり感じないけれど・・・
「進化機能」を有する対象に対し絶対的な何かは存在せず、生存競争の過程で常に選択を求められていることを理解した上で、我々は持てる能力・機能をフル稼働してその競争に勝利し、遺伝子に貢献しないといけないのだろう・・・
己の能力を信じつつ、常にそれを疑い続け、
変化することを恐れず、柔軟に、軽や、そして力強く・・・

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