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1980年台における尾崎豊という同調圧力

私も小さい頃からガラス屋のおじさんがガラスを直しているしか出てこなくて、尾崎豊に対して酷いことするなぁという印しか無かった。
なんでそういうが出てくるのかはよくわからないが、中高生の時分は周りは尾崎豊は我の代弁者(いや、もうすでに逆に我々は尾崎豊の感じるフラストレーションを再現することがファッション化していたのか?)で溢れ、そんな疑問を口にすることも憚られる雰囲気だったし、また歌詞を体現するような行動がカッコイイとされていた。


そんな世界は私にとってとても生きづらく、自分の脳にがあるのだろうか?とかになったりもした。
当時はインターネットがなかったので、の正当性がよくわからず、結果、団体行動がに至っている気がする。
けれど、今なら、インターネットでそういう類似パターンの存在を確認することができ、安心することができる。
些細なことではあるけれどインターネットのこういうところに、内面的な不安定さをこれまでたくさん救われていて、おかげでなんとか生きてこれているように思う。
そういう不安を持つ心に対して、救いになる情報を展開できたら良いなと思うけれど、まぁクソみたいな情報しか展開できてない44歳厄年

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