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Cinema

幼い日に描いた将来の自分

ベン・ハー
チャールトン・ヘストンがんだ。1959年の「ベン・ハー」で主役を演じた人である。
的に「ベン・ハー」には30年近い妙なトラウマがある。丁度良い(失礼)機会なのでいてみることにする。
はじめて「ベン・ハー」を読んだのは小学校4,5年生ぐらい、まだ子供なのでヴェルヌを中心に「レ・ミゼラブル」、「モンテクリスト」とか1800年代の話を読んでいた流れで「ベン・ハー」を読んだのだと思う。キリストとか宗教的なことがあまり分かっていない頃。
小説前半、ベンが将軍暗殺(瓦が当たりそうになる?)の罪で逮捕され、ガレー船の奴隷になるシーンがある。
ガレー船の動力は奴隷の漕ぐオールの推力。
喫水上にある船倉の壁面の穴から外にオールが突き出している。
奴隷達はその船倉に押し込められ、オールを漕ぐ。
脱走、反乱しないように足を鎖でつながれている。
つまり船が沈むとき、彼らも一緒に沈んで死ぬしかないのだ。
映画中のガレー船シーン
実際ベン・ハーの船もする、そしてそこが重要なシーンだったりもする。
このガレー船の件を読んだときに、何故か
「あ、オデのはこんなんだ?!」
と感じてしまった。
船倉に閉じ込められ、足を鎖で繋がれた状態で、
周りの状況が把握できないまま、
流入してくる水を目の当たりにすること。
そしてその海水に溺れて溺死すること。
大きなを感じた。(今でも)
人生の方向を選択するときにに浮かぶのはこのガレー船の死の
船倉から、鎖から、死から遠ざかりたい。
これが今の自分を形成した根幹にあると思う。
そう思って人生を見返すと、無線を勉強したり、造船を勉強したり、潜水士の仕事をしたり、フリーランスになったり、アホみたいに直線的で分かりやすい。というかアホに違いない。と思った。

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