最近裁判において心神耗弱という弁護側の主張をよく目にする。
真実は別として、多用しすぎて裁判テクニックの一つのように感じられつつあるような気がすると同時に、心神耗弱=犯罪者のような構造認識をされてくる危険性も感じる。すでに心神耗弱が免罪の理由として適当なのか?という意見をネット上で見たりもする。さらに突っ込んで心神耗弱者=犯罪候補者として監視すべきという意見も目にしたりする。これは加害者、被害者双方の人権に深くかかわるシビアな問題であり、慎重に議論されるべき問題なのだが、現状としてはあまりに裁判で擁護要素としてピックアップされているためにネガティブなイメージを植えつけられている気がする。(ある意味性犯罪者の監視が引き金になっているのかもしれないけど)