カテゴリー
Life

破水

6月2日 13時15分。
所で作業中のオデへワイフから電話。「したかも!」急遽へ。
診察の結果やはり破水。かかりつけの帝京大学病院は医師不足から小児科が閉鎖され、30週の胎児をケア出来ないとのことで、至急先を探す。
モニターしている胎児の心が流れる診察室の中で待つ。
定期的な痛みがワイフを襲い、その都度医者や看護婦がバタバタしている。
なかなか転院先が見つからない。途切れ途切れに聞こえる壁の向こうの会話が気になる。
何度か転院先が見つかったか質問するが、センターから返事が来ないの一点張り。
そういうシステムなのだろうけど、進捗の分からない待機の状態は精的にかなり辛い。
の流れがとても
嫁のおなかの中でがモゴモゴ動いているのが目で見える。苦しいのか、元気なのか良く分からないけれど、とりあえず目の前でまだ動いて生きている。しかし何もできない。手の届く場所にいるのに触ることすらできない。

カテゴリー
Fights 未分類

1990年代

1990年代のはとても面白かった。
プロレス自体は1980年代が話題先行だとしたら、1990年は深化したような印
1980年代のブック的プロレスのアンチテーゼとしてUWF、RINGS等の後の総合系の礎となる団体の出現がプロレス界に与えた影響で、ブック的な展開(両者リングアウトとかの不透明な結果)が少なくなった。それまでのファンにとってはとてもありがたいものがあったが、マスコミ的には話題として扱い易いネタが少なくなったとも言える。結果露出が減り新規ファンの開拓は打ちになったようにも思う。
1990年のプロレスが盛り上がっていたとしても内部的な話しであり、社会的にはが深枠になったり結構しんどい状況だったと思う。かといって新規開拓を怠っていた訳でもないのだろうけど、結果として新規流入口は地上波放送をやっていたK1や総合系となり、そこからプロレスへの流入が無かったと言うのが非常に辛かった。これは総合系にとっても長期的に見れば痛手であって、本当はセメントxブックの構図が描ければよかったのかも知れないと今になって思ったりする。(今の総合、K1の低迷を見ると・・だけど)
簡単に言うと1990年のプロレスは「ガラパゴス」的な存在だったのかも知れない。
良い悪いはさておき、非常に濃厚な時間だった。
ただ今の状況は非常に芳しくは無い。何か打開する術はないのだろうか?
的にははあまり好きではないけれど、彼のようなエンターティナーとしても優れたプレイヤーの重要性をヒシヒシと感じる。やはり猪木x馬場という両輪が日本のプロレス黄金時代を作った大きな要因なのだろうなと今になって思う。
もうすぐの1周忌がやってくる・・・・。

カテゴリー
Develop

Google Maps API を使って、地図のカラーバリエーションを楽しもう。

Google Japan Blog: Google Maps API を使って、地図のカラーバリエーションを楽しもう。
これが半年前にあったなら・・・・(遠い目
しかしこれはどういう仕組で実装されているのだろうか?
では無理だったりするかな?