軍政権に対しての反政府デモが活発化しているミャンマー。
先日治安部隊がデモ隊に対して無差別発砲を行った
その中で日本人のジャーナリスト長井健司氏が銃撃により亡くなったそうである。
高校生のころに中東の広河氏、ベトナムの沢田氏、カンボジアの一ノ瀬氏、そしてマグナムのキャパなどに影響を受けて報道の道に進みたいと思っていた。
何故だか好きだった子につられて理系に進んでしまうという失態を演じてしまったのだが・・・。
今でもそういう気持ちを心のどこかに持ちつつ、日々WEBを作っていたりする。
インターネットと言う世界中の情報にアクセスできるインフラに関わる仕事について、毎日のように世界中から情報を得て、まるで自動的に世界とつながっているような気になっている自分がいる。インターネットへ情報を入力するのは人間なのに、そんな基本的なことすら意識が希薄になっているのだ。彼らが命を掛けて伝えている情報を空調の効いた部屋でマウス片手で閲覧して薀蓄を語るのだ。もう申し訳ないとしか言いようが無い。
ボクが報道の道に進むことはもう無いだろう。
年を重ね、色々な守るべきモノを背負っている。
世界中の危険なところで報道を続けている人たちに、羨望とちょっぴり後ろめたい気持ちを持ちつつこれからの人生を過ごしていくのだろう。
長井氏が撃たれた後、地面に倒れつつ逃げ行く人をカメラを持った片手を上げて撮影している写真がインターネット上に流れていた。
彼は人生の最後に撮影した映像で、誰に何を伝えたかったのだろうか?
謹んで御冥福をお祈りいたします。
何はともあれミャンマーに早く平穏な日々が戻りますように。
個人的にミャンマーには縁が強いのですが、その話はまた後日機会があれば書きます。
カテゴリー: 2007
全国古民具骨董まつり
土曜日は義姉と義弟と一緒にマイソンの従兄妹が遊びに来ました。
まだ1歳になっていないので歩けません。
ただそろそろつかまり立ちの時期でありますのでモソモソしてました。
マイソンは従兄妹が気になるらしく、しきりに周りをウロウロと落ち着かない。
となりで自慢のダンスを見せたり、頭を撫でたりと一生懸命アプローチしてました。
オデは徹夜上がりだったので途中で寝てしまったのですが、そのあとも抱っこしたりと懸命にアプローチしていたようです。健気であります。
若かりしころの自分を見ているようでとても涙ぐましいw
しつこくして嫌われるタイプにならないことを祈っています。
なんか若いころは子供を作るとか、家族が増えるとかいう事にたいしての疑問みたいなものがあったのだけど、実際増えてみると色々今まで知らなかった感情やら、経験やらができて面白い。
ただ面白いからといってその疑問が解消されたわけではまったく無いのではあるのだけど・・。
光市母子殺害事件から色々考えてみる。
この事件は被害者の人権、プロパガンダとしての弁護等様々な面で問題提起を投げかけているのだが、そのうちの一つに量刑としての「死刑」の問題がある。
日本は基本は「矯正刑」であるにも関わらず「死刑」という「刑罰刑」が共存しており、この区分が明確でない(明確でないというのは的確ではないが、各々の事件の状況によって矯正になったり刑罰になったりする)ことが話をややこしくしているのだと思う。(この辺は 第024回国会 法務委員会公聴会 第3号とか興味深い資料があります)
イスラム社会では
固定刑(ハッド)
同態復讐刑(キサース)
矯正刑(タアズィール)
という形に分類されていて、殺人、傷害は同態復讐刑に分類されるのだそうだ。
ref:拓殖大学:イスラーム研究センター
これは恐らく被害者遺族が刑罰を決めることができると言うことなのだと思う。(刑の執行はしらないが)
個人的には殺人に関しては「刑罰刑」として処理すべきだと思っていたが、単純に刑罰刑にすることで色々な弊害が起きるのも事実であり、そういった意味では「同態復讐刑」と言うのは非常に分かりやすいなと思う。ただ分かりやすいと言うだけで実際それで被害者が救済されるのか?は分からない。徳弘正也の「近未来不老不死伝説バンパイア」の中で復讐刑の描写があったが(これは被害者の遺族が加害者の首をのこぎりで切断するというシーン)、このシーンで見られた被害者遺族の精神負担という面を考えるとやはり「司法」というフィルターが1枚挟んでいるほうが良いのかもしれない。
あとは情状酌量という面でも単純に「刑罰刑」するのは難しいのだろう。
(なので実は「矯正刑」と「刑罰刑」の問題ではなく、「情状酌量」の判定が問題なのかもしれない)
一度に来た。
死ぬかと思ったけど、なんとか・・・・汗
世の中は3連休なのだそうですが、とりあえず仕事。
土曜は嫁が美容院に行くためにマイソンを保育園に預かってもらっていたので、夕方一緒に公園で滑り台で遊んできました。滑り台も最近は豪快に滑れるようになりましたが、しかしバランスが悪い。
滑っているのか落ちているのかまだ曖昧です。
日曜日は昼にニコタマまで家族でラーメン食べに行って、それから事務所で仕事。夕方嫁から電話があり、急にマイソンが吐き始めたと連絡を受けたので急遽病院へ。病院へ向かうタクシーの中でも吐き、病院で待っている間も吐き、最後は胃液まででてきて、どうなることかと思いましたが、血液検査をしてもらいつつ2時間程点滴したらなんとか落ち着きました。しかし夜にオデが猛烈な腹痛でダウン。
マイソンのゲロにまみれていたからなんか感染したのか知りませんが・・・。
ただとりあえず月曜朝には復活。
月曜朝はマイソンも若干熱がありつつも朝6時からピンポン玉(スーパーボール?)で遊んで、お絵かきして、ご飯食べてと、とりあえずは元気です。犬たちも庭先で嫁にシャンプーしてもらっていました。朝食後お隣さんが手作りケーキを持ってきてくれました。お隣さんのお嬢ちゃんは先週からちょっと入院していて、この3連休は一時帰宅中。今日の夜からまた病院に戻らないといけないのだそうです。来週またお見舞いに行こうと思いますが、小学5年生の女の子に何をプレゼントすれば良いのか難しいです。
ということで9時から事務所に出て3連休最終日、遅れを取り戻すべくお仕事奮闘します。
叫ぶのは勝手だが選択要素があっての話。
選択要素が無くても選択の自由を要求。
しかし自分でその選択要素を作ろうとはしない。
そんな風になっていないだろうか??
自分を見返してみる。
はぃ、どーぞ◎