いまさらですがメモ。
OSCON2002基調講演<フリーカルチャー>
ローレンス・レッシグ教授の2002年オライリー・オープンソースコンベンション基調講演
自分を守るということは相手を傷つける可能性があるということ。
じゃあ自分を守るのをやめればいいのか?は不明。
そんなに世の中は一筋縄ではいかないような気もする。
だからといって諦めないでそういう願いをみんなが持ち続ければ
いつかはできるんじゃないかしら?
とか甘ちゃんなことを言ってみたり。
カテゴリー: Design
和とモダンを融合させたデザイン
「「KOTO」は、現代に残る普遍の美をコンセプトに、和の要素とモダンを融合させたデザインモデルです。和楽器の「琴」が持つ胴面の張りや直線をデザインに取り入れたほか、ダイヤルキーを琴の弦のように細く繊細に仕上げました。鮮やかな朱「R」と静謐(せいひつ)で力強い黒「B」の2色のカラーで、モダンなイメージを一層引き立てるとともに、表面の漆器を思わせる艶やかな光沢感と、ダイヤル面の落ち着いた艶消しで質感にもこだわることで、コンセプトである和とモダンの融合を表現しました。」
すいません、狙っているところは分かるのですが、全然感じるものがありませんでした。和風のテイストもまったく感じなかった。auのやつに比べてインパクトが弱いように思います。実物をみるとまた違うんでしょうか?
美術系の学校を出ているわけでもなく、そういう教養があるわけでも無い俗物なので、芸術とは何か?アートとは何か?その二つが同じものなのか、違うものなのか?もよくわかりません。昔はSEXとオナニーぐらいの違いかなと思ったのだけど、どーもそう簡単に片付くものでもないことはなんとなくわかってきた。
最近は何のジャンルでも「おーーっ!」と人を感動させることができれば「アート」になるのかしら?とか思うのですが、「デザインはアートだ」という前提条件としての話を聞いたりすると混乱してしまいます。
「アートしているので貧乏」とか「時代がついて来れない」とかいう話を言われると、「ん?」と考えてしまう。自分で「アート」しているとか言う言葉にも「?」。また「アート」をしているということで自分の現状を肯定するような発言にも「??」と考えてしまう。自分で「アート」って宣言すれば「アート」になるものなんだろうかしら?とか・・。時代を先取りとか何の根拠があって言えるのかしら?とか・・。(将来結果論的にいうならわかりますが)
絵画もそれはただ純粋に絵画で、それが第3者からみて「おー!すげえ!」とか何か心を打つものがあって初めて「これはアートだね」ということで「アート」になっていくのかしら?とか、本人が「アート」だと言っても「なんだよこれ、しょぼー」ってなったら普通の絵画じゃないの?とか思うのですが、そんなに簡単なものではないですかね?
「売れればアート」というのも語弊があるような気もしますが、売れなくても「アート」ってのも「?」。まぁこれは売れなくても生活できたりする人に対しての僻みもあるかも知れないですが・・・。
まぁ特に言葉や定義とかにとらわれる必要もサラサラないので、「アート」だって言われれば「へぇこれはアートかぁ」と思うのですが、岡本太郎が亡くなった時の横尾忠則の寄稿を読みながらちょっとその辺考えたりしてみました。(横尾忠則の語っている内容まで到達しないところで・・、ですけど・・・w)
以下1999/10 Eureka 「芸術家とその作品について」横尾忠則よりところどころ抜粋
美術界はあんまり大衆化されてしまった作家にはどうも冷たい。美術、あるいは美術家は聖なるものでそう簡単に俗なるレベルに受容されてはならぬという信仰がかなりあるみたいだ。
どうして生きているときと死んでから作家や作品の価値が変わらなければならないのかぼくにはよくわからない。生きているときに大衆の評価と同レベルで美術界が評価するのは沽券にかかわるとでも思っているのだろうか?美術界が高く評価するものと大衆が高く評価するものとは違う。しかし歴史的に見ると結果は大衆の評価が普遍的な評価になっていることが多いように思う。現在のように大衆情報社会の中では特にそうだ。
都合のいい時だけ一つに結び付けて、キャラクターを否定するついでに作品も無視するみたいなことは、大体大衆が考えることではなく、美術界が考えることだ。
「一点の傑作など大して重要ではない。それよりもその人間が何者であったということだ。」何を描くかではなく、どう生きたかが問題である。絵はたかだか絵でしかない。それなのにどう生きたかを美術界はどうしてもっと高く評価しないのかがそれこそ問題である。
個人的には岡本太郎とかとっても好きなのですが、美術界ではあまり認められていないらしいですね。(昔岡本太郎好きだって言ったときに「彼はたいしたこと無いよ、世界的には評価が低いからね」とか言われて、別に世界的な評価とかどーでもいいんですけど・・と、ちょっとムカッと来たことがありますw)
brandchannel.com | Brand of the Year Survey Results 2003 | Branding Success and Failure
去年に引き続き1位はgoogle。
2位apple、3位MINI、4位Coca-Cola、そしてなんと5位にSamsung!ほへー!世界的に見るとサムソンってもうすごい起業なんですねーー。
しかしグーグルというかサーチエンジンってのがそんなにブランド力を持っているものだとは思いませんでした。
(確かに使っているけど、あくまで便利なのがGoogleだというだけで、別にGoogleじゃなくてもいいやというのが個人的な感覚なのだけど・・・)
情報の質がわからないと、やたらと量を集めたがる。その量が社内的な人事評価の基準になるのかもしれないけど、本質的になにかずれているような気がする。たくさんの情報の中から良いものをドンドン抽出していって、それを利用することでより良いものが出来てくるんじゃないかしら?と・・・。
何でもかんでも集めれば言い訳ではないし、何でもかんでも発信すれば良いわけではないと思う。情報操作という言葉はあまり良くないイメージだけど、これだけ情報があふれている現状では、どれだけ価値のある信じるに値する情報を発信することの方が大事な気がする。
当たり前のような気がするが、当たり前のことではないのかしら?
最近のお気に入りイラストレータ
a lovely rainy dayの笠岡淳一さん。うーーん、かわいい!
顔に似合わずこの手の絵はとっても好きで、同じようなテイストで昔のフランスの宝くじのポスターを書いていたイラストレータさんとかの絵も持っていたりするのですが、見ているだけで幸せな気分になれるです。こーゆーイラストで世の中溢れれば平和になるんじゃないかしら?と・・。
余談ですが、同じ広島県人として是非是非がんばってもらいたい。
東京の風は西に比べてちょっと冷たいですけど、あなたのイラストで暖かくしてください!
なんとか!なんとか!
あの霞の向こうに見えるのは
頂上か・・・!?
頂上であってくれ!
とても優れたデザインなんだけど、使いにくいよね。
とても良いデザインなんだけど、読みづらいよね。
とても素敵なデザインなんだけど、分りにくいよね。
じゃデザインってなによ?
物がなければシンプルライフ?
無印良品の進めている住空間プロジェクト「MUJI+INFILL」のリノベーションが11月末に完成したもよう。デザインは空間デザイナの吉岡徳仁。
作業工程とか結構細かく見れて面白い。今後木の家、コンクリートの家と続いていく予定。
一般公開はまだだそうだけど、一度見てみたい。
果たしてここまで何もない空間で落ち着くことは出来るのか?とか・・・w
に何を建てるかでLMDCが行ったコンペの結果Freedom Towerが建築されることになったそうです。David M. Childs、Daniel Libeskind両名が共同で設計したそうです。高さは世界最高の1776フィート(なにやらこの高さに意味があるらしいがよーわかりませんでした)
たしかこのコンペに安藤忠雄は慰霊公園として地球を模した地下空間を建設する案をだしていて、その考え方に共感を覚えたりしたのだけど、やっぱりNYの一等地をそんな銭にもならないようなプランは採用しないわなぁ・・。
世界中に何千人もの人が亡くなったその瞬間が中継された場所に世界最高のビルが建築され、アメリカの新しい経済の象徴として何万人の人たちが行き来する。なんとなく複雑な気分です。(まぁそんなことは広島、長崎、そして東京など日本全国でもいえることなのかもしれないですが・・・)
KOTO V303T