仕事をしながら耳かきをするのが癖である。
なんか耳かきをしていると頭が冴えるのだ。
脳みその近くを刺激しているから、活性化されるのだろうと勝手に思っている。
考え事をしているときに一心不乱に耳かきをして血がでるときもある。
閑話休題
で、現在事務所で使用している耳かきはコンビニで購入したものなのであるが、なんかこれが日に日に反り返ってくる。で、気持ち悪いの逆に曲げてみたらバッキリ折れてしまった。
で、折れたまま耳かきをしていたら手に棘が刺さった。
棘が刺さるなんてとても久しぶりだ。
思い返せば子どものころはしょっちゅう棘が刺さっていたように思う。
その度に安全ピンやら針やらをガスコンロで焼いて、棘を穿り返していた。
周りは結構それを痛そうに見ていたのだけど、自分は痛さに鈍感なのか結構その辺平気だったように思う。
ちなみに今までで刺さった一番大きなものはルアー。
車の座席と自分の手の両方にささり、身動きが取れなくなった。
しかも場所はバス釣りに一人で山中の沼に行っていたときだ。
時間は夕方。もう周りがうっすらと暗くなっていた。
ルアーはトップウォーター系の奴で4本足の針が二つついていた。
一つの針の足がが親指と人差し指の間の水かきみたいなところに2本突き刺さり、
一本は突き抜けている。もう一つの針が車の座席に突き刺さっている。
体勢としては車の後部座席においていたルアーをとろうと思ったら、それが座席に刺さっていたため、引っ張った手に刺さったという感じだ。しかも体勢が微妙・・。BOXとかに手が届かない体勢。
ただ運の良いことに釣りのジャケットにナイフが入っていた。
最初車の座席を切ろうとおもったのだが、手と密着しすぎていて良く見えない。
仕方が無いので手のほうを切ることにした。
返しが抜けているので、きれいに切ったほうが傷は小さくなるだろうと勝手に思い、
ライターでナイフを焼いてから、切除して開放された。
今思うと無茶苦茶だが、そのときは平然とやっていた。
しかもあまり痛さを覚えてもいない。
そして今耳かきの棘を取ったのだけど、結構痛かった。
年をとったら痛さを感じるようになってきたらしい。
この話ももう10年以上前の大学院時代の話。
東京に着てから一度も釣りをしていない。
そしてもう朝の4時だ・・・
カテゴリー: 2007
できることはすべてやる
自己が存在してる以上、物理的現象以外に普遍的な真理などありえないと思いますが、この言葉もまさにそういう言葉。特にこういう体育会的思考は日本人の浪花節的琴線を刺激するのだろうし、事実オデもその傾向はある。ただまぁこの言葉が出てくるまでの経緯と状況が重要なのだろうけど、実際は結構安易に用いられている。
結果「やりすぎちゃった」みたいなことになりかねない。
(というか往々にしてそうなる)
オデは仕事柄なのか常にある事象に対しての意識と相反する意識を考える傾向が強い。
これが「リスクマネージメントに長けている(皮肉をこめて)」という評価を得ている理由なのかもしれないが、「川に古いつり橋が架かっているとして、それを渡ればすぐに向こう岸につけるが、もしかしたら橋が腐っていて落ちるかもしれない」と考えるのは普通だろう。ここで重要なのは「時間」「安全」どちらがプライオリティが高いか?であって、そういうプライオリティ設定を経ない形で「できることはすべてやる」っつーのは非常に危険。
斯く言う私も若いころは勢い勇んでこういう言葉を連呼していた時期がある。まぁそれはそれでそういう過程を経ないとこういう考えに至らなかったと前向きに捉えているが、正直赤面ものだ。
しかしまぁこういうエントリーを書くこと自体かなりのネガティブ思考だなぁ・・と思った。
もう少しポジティブになりたいと切に願うある早春の午後。
今日は朝5時ぐらいまでワサワサ働いて、家に戻って仮眠。
昼前にシギさん一家がプリンの服を持ってきてくれました。
子どもも前より大きくなってて、笑ってくれたりしてちょう可愛い。
ハイハイはじめるのはも少しみたいだけど、是非一緒に遊ばせたい。
(同じ**トつながりでチームを組ませたいw)
その後妹一家が自転車でお好み焼きの材料をもってやってきた。
ソラっち久しぶり。息子とお互いにちょっと警戒モード。
お好み焼き食べて一段落したら二人でエキサイト開始。
大人には分からない子供語でヒャーヒャー喋っていました。
も少しゆっくりしたかったけれど、とりあえず仕事復帰。
とりあえず明日の昼まで寒い事務所でがんばります。
働け働け働け・・・。
ううーーん。
がんばれオデ。