なかなか入手が難しいという話のビール。これ以外にも値段の違うラインナップあり(これは一番安価なもの)
味は「クラフトビールでござい!」という力みの無い、スマートな呑み口だったように記憶している(ちょっと時間が空いて忘れた・・・😅)
名曲「天城越え」で有名な浄蓮の滝。
「天城越え」が「喘ぎ声」と掛けられているという話を聞いたのですが、本当でしょうか?
(松本清張の小説「天城越え」がベースにあるような記述がWikipediaにあったのですが、今見たら無くなっていた)
高校の陸上時代の恩師が定年になられたということで、広島まで行ってきた。
陸上部の同期はちょくちょく会っているが、それでも5年ぶりぐらい。
先生、先輩、後輩に至っては22年ぶりである。
高校時代の面影のままの人、まったくもって誰だか分からない人。
時の流れを感じたり感じなかったり。
幸いみんな元気にやっているようでよかった。
22年前の高校時代の先生の歳を、今の自分は追い越しているにもかかわらず、やはり先生の前にたつと、先生と生徒なのである。当時にタイムスリップしたような、ただ若干何か違うような。不思議な感じ。
先生は当時と変わらず元気いっぱいだった。ほんの少し小さくなったように感じたけれども・・・
一泊の強行軍だったけれど、行ってよかった。
そして相変わらず、お前は何なんだ?とみんなに言われた。
とりあえず懸賞生活で生きてます。と言っておいた。
そういえば先生はオリンピックに選手を送り出したらその髭を剃ると言っていたのだけど、為末がオリンピックに出た今でも髭は健在だった。その当時には剃ったのだろうか?
ちょっと見てみたかった。
まだ陸上の世界に関わっていくということで、これからもたくさんの選手を世界に送り出してほしい。
末永くお元気で。
遅い夏休み的に家族で九州・熊本へ
初日
朝5時起き。子供が二人もいると予想外アクシデントを考慮してかなり時間は前倒し。
東京モノレールの中から日の出を拝みつつ移動。10時に熊本到着。
レンタカーを借り草千里、阿蘇火口、阿蘇大観峰などを巡回しつつ、街道沿いの廃墟施設・店舗をチラチラと。このへんはまた別エントリーへ。さて、東京では激減したバイカーだが、九州はまだまだ大量に存在している。駐禁も厳しくないのかもしれない。草千里のあたりでは100台近くのハーレーの集団に遭遇した。老いも若きも混在した集団でとても楽しそうだった。やっぱバイクはイイ。走ることでしか自立できないその姿にカタルシスでも感じているのかしらんけど。大観峰では頂上の絶景の中パラグライダーに遭遇。パラグライダーって落ちて行くだけだと思っていたのですが、そこではその場所でフワフワと上がったり下がったり強風の中自由自在に好きなところに移動していました。ある程度の強風が必要なのかもしれないけれど、とても楽しそうだった。段々と夕方になってきたので黒川温泉に移動して宿にチェックイン。この日の宿は南城苑。友人からは別の旅館をススメられていたが、既に満員で・・という経緯で選んだ宿でしたが、結果として夫婦揃って大満足でありました。もう従業員の方の対応が素晴らしかった。控えめでありつつ、足りぬところも無く、必要なときにはそっと手をさしのべるといった、接客の鏡とはこのことか?!と・・・。
温泉街を散歩したり、足湯に使ったり、色々なお風呂に入ったりで終了。
毎年恒例の慰安旅行。
今年は長野の渋温泉。
先日長野に移住したワタル先生と長野駅で合流して、善光寺観光。
そばを食べに行った店で、UNIQLO CALENDAR撮影チームと遭遇。
最近日本のどこに行っても、仕事の知り合いに会うのだけど、これはとても奇妙だ。ドッペルゲンガーの一種だろうか?(違)
夕方前に渋温泉に移動。個人的には2回目の渋温泉ですが、この街は「温泉街」って感じの佇まいでとても良い。9つの外湯めぐりに燃えるも、年寄りのオデは5個ぐらいでダウン。若者は1つを残して8個制覇。若いって素晴らしい。食事をして、部屋でこたつに入りながらダラダラテレビを見ながら酒を飲み、時々湯に入る。怠惰の極み。
雀士問題でひとしきり盛り上がった後、DMM談義になり、26時頃就寝。
2日目:
朝7時頃に起床。
少し雪がふったらしく、うっすらと街は雪化粧。
神社にお参りしたり、散歩したりしている間に雪が降り始める。
昼ごろ駅へ移動したときには完全に吹雪。
途中で我が家は帰省のために電車を下車。
まったりとした良い慰安旅行でした。
こちらに来てからマイソンがひっきりなしに散歩に行きたがる。
実家の周りが物珍しいのと、緑が多くトカゲやら虫やらが多く居るからだと思うが、散歩から家に帰るや否や、「散歩に行く~!」と叫ぶ。午前中だけで4回も散歩した。
よく釣りに行っていた漁港に散歩に行ったら、埋め立てられてプレジャーボートのマリーナに変化していた。まったく地理がわからなくなり、結局海まで到達できず帰宅。15年と言う時の流れを実感した。
昼過ぎまで散歩したり、母親が出来ずにいた力仕事を片付けたりして、15時ごろに実家を出る。
広島駅の近くに「ひろしまお好み物語」とかいうお好み村の様なものができていたので、お好み焼き食べ収め。「たむちゃん」という店で「にんにくスペシャル」みたいなのを頼んだら、生+ペースト+乾燥の強烈なニンニク盛り合わせで、口が臭くなってしまった。嫁の頼んだ「とろとろ卵の半熟焼」というお好み焼きの方がおいしそうだった。
帰りの新幹線では通路向かいに座っていた女の子ファミリーと遊んでもらった。
ただマイソンは体格から想定される年齢が高いため、女の子も戸惑っていた。(5歳の女の子よりマイソンのほうがでかいが、知能は3歳) まぁそれでも女の子の協力もあり、最後は上手に遊べたかな・・?
帰宅して色々雑事処理していたら27時過ぎ。
明日から日常業務へ。
SLやまぐち号とYCAMのセミトラ展を見に山口へ。
やまぐち号のチケットはネット上では完売していたが、現地で湯田温泉まで(新山口から1駅だけど)のチケットゲット。津和野で発車するのを見たことはあるが、乗るのは初めて。
客車は車両毎に大正、明治、昭和風とテーマが異なっている。我々が乗ったのは大正風。シートがベロア風である。(明治は革張りだった)
ある程度予想はしていたのだが、実際乗ってしまうと、あとは普通の電車と大差ない。車外を煙が流れているぐらいである。明らかに外から見ているほうが正解である。何か乗っているほうにも「蒸気機関車に乗っている感」を感じられるような仕組みがないと、ちょっと残念な気持ちになるかもしれない。
湯田温泉で下車。SLを見送った後、タクシーでYCAMへ。
タクシーでYCAMと伝えても全然分かって貰えず、色々調べてもらう。
結局「ああ、図書館かぁ?」みたいな感じで到着。
YCAMという名称はあまり地元では認識されていないっぽい。
展覧会は広いスペースを贅沢に使って展示されており、朝一で混雑もしておらず、ゆったりと堪能できた。(セミトラ展に関しては他のブログなどで色々紹介されているので詳しくはそちらを参照してください。)
マイソンはターンテーブルが気に入ったのかひたすら回してフォントを動かして遊んでいた。(後でターンテーブルを動かして英語を動かしていたことを得意気に説明していたが、ターンテーブルをフォントを動かす道具として理解してしまったかもしれない)
嫁もいたく気に入ったようで、しきりと感心していた。
観覧後YCAM内で食事をしていてセミトラさんにバッタリ。
挨拶をして温泉街へ。
「湯の森」という温泉センターみたいなところへ。
マイソンが風呂で暴れるのを止めるので手一杯で、あまり温泉を堪能できなかった。
新幹線で広島に戻り、市内を少し散策した後で実家まで広電(路面電車)で戻る。
久しぶりに市内で路面電車に乗った気がする。なんだかとても遅く感じ、その遅さが実家で一人暮らす年老いた母を想起させて少しブルーになった。
夕食は近所のお好み焼きやさんにみんなで出かけてお好み焼き。肉玉ダブルを頼んだのだが、ダブルにしたからか、そばの仕上がりがあまり芳しくなく、ちょっと残念な感じだった。