自分が正しいと思っていること、それ自体が間違っているということ
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SEOができるやつは異性にもモテる?
最近こういうわかりやすいスライドが増えている。
当然厳密な意味で違う部分はあるとしても、取っ掛かりから概念論に走ってしまうのも混乱の原因になるかと思うので、ここからスタートして追々詰めていけば良いのではないかと思う。
スライドの内容としては、SEO施策に関しては疑問を持つ部分はあるが、「合コンに来た女子を楽しませること!」というスタンスが明記してあるのがすばらしいと思う。
あとはSEO軸のお話なので「合コンおじさん」が基点になっているが、「女性の口コミ」というチャンネルもあることをWEB全体としては留意したら良いのだろうと思う
「人である」ことによる「人でない」人
人類史上最大の虐殺はスペインの南米侵攻(2000万人以上とか)などと言われていますが、大量に人を殺すには「対象が自分より下等な別の生物である」という認識が必要になる訳で、その裏付けとなったのは、アリストテレスの言葉であるという話。
カトリックのインディオ虐殺は、古代ギリシャのアリストテレスの「文字を読めないものはドレイである」 という記述が大きな推進力に成ったということも指摘しておきます。
最強動物ランキング10
この話は高校の頃に、何かの本で読んだ記憶がある。
人が人らしくあるために、人を定義した結果、人でない人ができるジレンマ。いや、それはジレンマなのではなく、元々整合など求めておらず、ただ自身の正当性の主張だけが目的では無いのか?
いわゆる厨二病。それ以来形而上的な定義に関して疑念的なスタンスを持って今まで生きているのだろう・・・イタイ・・・汗
最近また奴隷関係の歴史を紐解いていたりして、その流れでこんなお話・・・
試行錯誤説:効果の法則
ソーンダイクの試行錯誤説の効果の法則の定義
満足の法則:満足をもたらす反応は結合を強くし、起こりやすくなる。
不満足の法則:不快をもたらす反応は結合を弱くし、起こりにくくなる。
強度の法則:満足や不快の程度が強いほど、結合力は大きくなる。
すごい単純化するとこういうこと。
動物実験の結果から導かれた法則であるわけども、まぁなんつーか心理学は定量化が難しい
だからこそ面白いんだろうけれど
いわゆる不安商法と同じ。ほんまうざい。
「自己責任」という言葉を隠れ蓑に自身は責任を負わず、自己宣伝で甘い蜜を吸う。
タイトルに「最低」とか飾る人は完全に確信犯で詐欺と同じ思考だと感じる。
そういうタイトルの記事を書いている輩を集めて、すべての「最低必須条件」を俎上に並べて仕分けさせると、とても有益な情報が出来上がりそうな気がするので、誰かやってくれれば良い。
ベネッセ「賠償金」は700億円以上にのぼる? 大規模「個人情報流出」の法的責任 (弁護士ドットコム) – Yahoo!ニュース
我が家もおもいっきり対象な訳ですが、普通であればクレジットカード以外の情報に関しては比較的寛容なのですが、子どもの情報っつーのは問題あり。
これからアホみたいに子供向けのDMとかが送られてくるのかと思うとぞっとします。
しかし実際流出ってどういう形のデータになるんでしょう?
DBがそのまままるっとコピーされるのか、テーブルごとのCSVみたいな形でリレーション無しの状態でダウンロードされるのか・・・
今回は外部からの侵入ではないとうことなので、また違う形なのかもしれませんけど・・・
しかしプライバシーマークってなんだよ?って感じですね。
もう少し役割と責任を明確、厳正化してもらわないとその存在意義がよくわからなくなりますね。
流出に関する保証を受け持つとかそれなりの責任をとるべきなんじゃないかしら?
一応一般財団法人日本情報経済社会推進協会から今回の件についてのリリースがありますが、
当協会としましては、この事実を重く受け止め、当該事故に関する事実関係を確認したうえで、厳正に対応いたします。
プライバシーマーク制度 – お知らせ(2014年):株式会社ベネッセコーポレーションのお客様情報の漏えいについて
な感じで、「厳正な対応」っつーのが何をするのかよくわからない。
もういっそのネット業界のロイズ – Wikipedia的な感じで保険機構にしてくれたほうがシンプルでわかりやすい気がします。
日本、まさかの「IE6互換ブラウザ」を完成させてしまう。IT業界の新陳代謝抑制に成功。:まとめニュースちゃんねるぷらす
Internet Explorer 8 ダウングレードサービス: PCカスタマイズサービス | ビジネスPC | NEC
スケールする可能性のないマーケットに精力を注ぎ込む思考は、日本の特有の気質なのかしら?良く言えば職人気質。悪く言えば開拓済みの領域の残り物を拾い集める的な・・・?(いや実際は海外でも多くこのような対応が行なわれているかもしれないですが)
以前「サービスのIE8対応を終了する代わりに、IE8利用ユーザに新PCを提供する選択をする」みたいな海外サービスの記事を読んだ気がするのだけど、これは前衛的すぎるなーと初見で感じたものの、利用ログとか確認した上で、費用対効果として安ければ正しい選択だなと思ったことを思い出しました。(元ネタを探してみたのだけど、見つからず、もしかしたらIE6とかなのかもしれない)
Charisma.com(カリスマドットコム)
美容院でヒカキンの話題になりまして、
「彼の名前の由来は「課金をしない(非課金)」だけど、パズドラは結構課金してるっぽいですよ。」
なんて話を聞いた。
「へぇ、そういう由来なんすねー、知りませんでしたわ」
なんて応えていたんですが、さっきWikiで調べたら全然違った。
インターネットもリアルも信じるか信じないかはあなた次第
楽天Koboからのおすすめ
薦められた商品心に響かない上に、その理由も理解できない。
リコメンドシステムがスパムに成り下がっていく原因のひとつ。
リコメンドの理由とか書いてあると、リコメンドシステムの能力を推し量り、人と為を知る感じでもう少し腑に落ちる気はする。恐らく購入履歴の坂口安吾、夢野久作あたりが関係していているのだろう・・・(そのリコメンドに対しては個人的に評価は低いけれど・・・)
さて、このリコメンドの対象は楽天Booksの履歴までは追ってない気がする。
楽天、楽天Booksが保持する履歴というリソースをアドバンテージとして利用しないのは、会社が違うってことかしらね?
既存システムと新システムの連携が大変なのは分かるけれど、本を超えた商品のリコメンドっつーのは非常に興味深い仕組みだと思うし、費用対効果もプラスになるんじゃないかなぁと思ったりする
TumblrのQue機能は愛
TumblrのQue機能は1つの愛の形である。
しかしその上限は300で、スマホアプリではReblog上限エラーと同様、Que追加エラーも通知されない。
このエラー非通知もひとつの愛の形。
PinterestはAlreadyという違う愛の形がある。
しかしQueは無い。
どちらの愛が正しいのか、私には分からない・・・
学校の教室の向きは、右利きの子どもたちが文字を書くときに、影が筆先に落ちないように考慮されて設計されています。(教室 – Wikipedia)
ここでは「左利き」生徒への対応は除外されていますが、建築物など実在する物体の場合、空間、費用という面での制約が非常に大きい物があることの一般的理解を持って受け入れているという状況だろうと思います。
一方、WEBは比較的動的に環境対応できるので解決方法も色々検討できますが、その動機は下記ブログでも書かれているように
「いやー、クライアントからの仕様書に入っててマストなんだよね」
「住民や地元の議員から「隣の市のサイトにはあるのに、うちのサイトにはどうしてこのボタンがないんだ。もっと配慮しなさい」って言われて…」
という場合も多く、実効的な対応になっていない場合も往々にあるかと思います。
建築物のアクセシビリティは公共施設には基準設定されますが(参考:https://www.pref.yamagata.jp/ou/kikakushinko/020060/kikakupdf/ud/ud/zireisyuu25sisetsu1.pdf)、民間施設では空間制約・費用などの面で実装が見送られるケースが多々見受けられるように、資本主義の世界ではやむを得ない部分はあるのだろうと思います。(ただし基本設計の際に同じ工数の中で吸収できることをしていないのは、設計ミスと言って良いかと思います。)
WEBに関しては、JIS X 8341-3:2010 解説、ウェブ・コンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン (WCAG) 2.0という仕様が存在していますが、対応方針レベルです。(一応WCAGの方は方法の細かい案内までありますが、ブラウザ状況などに適切に対応できているかは不明)
対応手法の是非に関しては個々のサイトへのご意見というよりも、アクセシビリティ仕様について改善を促すような形、もしくは業界として、ヒアリングやテストを経て標準的な具体的対策方法(それが共通のJSライブラリなどになるのか不明ですが)を策定したほうが良いのかもしれません。ただその際に、何を標準とするのかという点が当事者も含め判断の難しいポイントで、その結論に至るのは非常に難しいように感じます。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつはぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
・・・以下略
説明に用いる言語の未熟さと、感情を開く言語の可能性
言語化の価値と、言語化できない価値、言語化しない価値
そんなことを考えるたびに、この詩を思い出す。
田村さんといえば私はポアロの翻訳の印象だけど、先日「ゼラルダと人喰い鬼」を読んでいてその翻訳も田村さんだったことに気づきました。