Experimental evidence of massive-scale emotional contagion through social networks
まだ全部読めてないけれど、興味深い。
予想の範疇を超えない結果であるようにも感じるが、それよりも大量の被験者に対して無意識に実験を行うプラットフォームとしてのSNSの扱いが面白い。一部では問題視されているようだけれども、ネットサービスなぞ、ほとんどそんなもんじゃないかしらね?自分の情報売って、サービス利用するような感覚は危険なのかしらね?
Ref.Facebook、ユーザー約70万人のニュースフィードを操作した実験結果論文を発表 – ITmedia ニュース
しかし広告のクリエイティブが点、線だとしたら、SNSは箱庭とその制御。
ちと制御対象の次元が違う感じはあるなぁ・・
知らんけど
カテゴリー: Random
台無しにするという行為がある。
「台無し」
[名・形動]ひどく汚れたり傷んだりして、役に立たなくなること。物事がすっかりだめになること。また、そのさま。「雨で着物が―だ」「計画が―になる」「一生を―にする」
基本的にネガティブな印象であるが、実は自虐展開を含むポジティブな印象のものもある。
うまく言葉で説明できないのだが、こんなかんじ。。。?
下手な言葉で説明するより「センス」として片付けてしまうけれど、いわゆる薬味の扱い。
ベースがコモディティ化するとそういう部分を差別化要因に利用する必要はある。
実はそこが人間の内面に深く関わってくる部分で、そこが色々展開されると楽な気持ちになれる人たちもたくさんいるんじゃないかしらと思う。
個人の狂気と集団の狂気
In individuals, insanity is rare; but in groups, parties, nations and epochs, it is the rule.
Friedrich Nietzsche
「狂気は個人では稀だが、集団、団体、国家、時代ではルールである」
この訳で正しいのか、昔から意味をはかりかねている。
やさしさの半分は黒歴史
ホントめんどくせえな。「逝去」に文句言ってる奴は天皇陛下のお顔のことを龍顔と呼んだりお言葉のことを優諚…
当人の意思を無視した権威の流用により、他者を排除・否定し、自己の立場を確立・守る行為を行うケースがあります。面倒なのは、当人の自己保身行為であることを当人が理解しておらず、権威対象への同一化を伴うエクスタシー状態になって「偉い先生がこう言った」「あの本にはこう書いてある」「昔はこうだった」・・・と展開するわけです。
ですから否定的な意見は自身への否定である上に、権威への忠誠心なんて自己犠牲的薬物をチューっとされていますから、大爆発します。
対象は人だけに限りません。会社、学問、仕様、社会・・・色々あります。
インターネットと井戸端会議
自己相似性を求めて3000里
「1つでなんやかんや全部できる」
それはフラクタル・小宇宙的な感じで、母体の曖昧さは加速されていく印象なのだけど、サービス提供側のそういうアプリへの理想は強いようである。
しかしなんでもかんでもできるようにした結果、キャッチーさが失われ何なのかよくわからない存在になったり、実装時に超えなければならない障害が増加したりとあまりよい結果に繋がらない現実があり、世界は色々試行錯誤しているようである。そして私も色々試行錯誤している。
どうしてそういう思考が理想として表出するのか?は正直よくわからない。
視点がミクロとも言えるし、マクロとも言える。
既にここもなんともかんともぼんやりした話しである。
ということでメモ。